週刊新潮 Shūkan Shincho 1996.12.19 48-52頁
▲ 一九八二年にソウルで開かれた合同結婚式(上は文鮮明夫妻)
女性信者の自殺を報じるウルグアイの新聞 ▲
(下は本村波子さん)
統一教会女性信者が自殺した「四千人」南米大移働の謎
❖補足説明の追加
本村波子さんは、1996年の後半ウルグアイへ渡った四千二百人もの日本人女性のうちの一人であった。その際、わずか一週間で総額8000万ドルがバンコ・デ・クレディトに預金されたという。
シカゴトリビューン 1994年12月8日 文:ケリー・ラフト
バージニアコモンウェルス大学の社会学者であり、新興宗教を専門とするデヴィッド・ブロムリー氏は「文鮮明は足取りを掴まれることなく資金を動かしたいと思っている。というのは、世の中には文鮮明の動きを把握したいと思っている人がたくさんいるからです。」「ほとんどの教会は設立されてから経済的な基盤となっています。彼は先に経済的な基盤を作り上げ、それを教会の資金源としている。それを理由に疑いが向けられているのです」と言う。
2000年にBBCにより制作されたドキュメンタリー
「評判 / 悪評: 宇宙の帝王 文鮮明」より。
ナレーター:貧しいウルグアイでは、軍がチュパマロスゲリラと戦い勝利したところでした。首都のモンテビデオは、金持ちの外国人にとって、財産を隠すことのできるオフショア銀行が集まる場所でした。文鮮明にとってはそれ以外にも魅力的な点がありました。
マイケル・ハーシュマン:「法的にも過ごしやすい環境でした。というのは、法律や条例が米国ほど整備されていなかったからです。概して教育レベルは低く、貧しい人々は、より良い生活を約束してくれる人がいれば誰であれそれを受け入れる状態にありました。
ナレーター:「文鮮明はウルグアイを自身のオアシスと呼びました…1980年代後半、文鮮明はあまりにも多くの不動産をモンテビデオで持っていたため、皮肉を込めて現地の人々は“ムンテビデオ”と言ったといいます。文の信者はこの宮廷のように豪華な建物は彼の住居となり、ラテンアメリカでの聖地となるはずだったといいます。
この代わりに海辺の豪華リゾートと釣りのできる川辺の農園を選びました。彼はそこで安息を得ようとしていました。
コンソーシアムニュース、1998年11月6日 文:サミュエル・ブリクセン
文鮮明師が最初にウルグアイに基盤を築いたのは1973年のことであった。右派の軍部の独裁者たちが12年間統治していた時期である。
初期ではあったが、米政府の調査官は文鮮明の成功の鍵となっていたのは信者を利用して内密に金を各国間で移動させることだと認識していた。1978年の米議会の調査報告書は、文鮮明の信者が、現行の法律に違反して、多額の現金を米国に持ち込んでいたことを報告している。
1983年、文鮮明は南米における持ち株会社を、モンテビデオ有数の銀行であるバンコ・デ・クレディトを買収することで拡大した。価格は5200万ドルであった。ウルグアイの軍幹部は、回収不能なローンをバンコ・デ・クレディトから借り、銀行を買い戻すことで、短期間で文鮮明に800万ドルの利益をもたらした。
1980年代を通して、文鮮明はウルグアイでの持ち株を増やし続けた。格調が高いが鄙びてしまったオテル・ビクトリア、ウルティマス・ノティシアス新聞、旅行代理店、そして膨大な不動産を購入した。
ウルグアイの銀行の機密に関する法と文鮮明の政治的影響力により、これらの動きは目立った法的措置を免れた。しかしながら、彼のマネーロンダリングは、ここ数年定期的に政府や他の捜査官たちの注意を引いている。
例として1996年に、ウルグアイの銀行職員の労働組合が、4200人の女性信者が文鮮明の操作するバンコ・デ・クレディトに出向き、一人最大2万5千ドル預金したとされる案件で、警笛を鳴らしたという。
女性たちからの預金は実際には文鮮明の統一教会により管理されている、Cami IIという匿名の協会に預けられた。Cami IIは一日で190万ドルを受け取り、女性たちのパレードが終わるころには総額約8000万ドルに膨れ上がっていた。
ところが、資金源は定かでなく、不法な入手元から来たかどうかも明らかではない。加えて、足のつかない現金をウルグアイに持ち込むためのこの手法が、文鮮明の組織により今回の他に何回用いられたのかも定かではない。
明らかに、文鮮明の保守派の政治家への莫大な投資は、この韓国人神権政治家を厳しい追及から守るのに一役買ったとみられる。近年の文鮮明のアメリカ人受益者のなかにはジョージュ・ブッシュ元大統領やReligious Right(宗教的右派)のリーダーであるジェリー・ファルウェルがいる。
矛盾しているが、文鮮明のウルグアイにおける銀行の資金難は彼にとってアドバンテージとなった。ウルグアイの上層部は銀行の経営破たんが国の名誉を傷つけることを恐れている。そのため、文鮮明は好きなように銀行を管理できる代わりに、バンコ・デ・クレディトに銀行の維持のため必要な金を供給しているのだ。
それでも、文鮮明の影響力の一番の源は水面下で行われる金の移動であり、それはいわば金でできた地下流のようなもので、その隠れた源泉は文鮮明の組織の最も大きな謎と言えるだろう。この泉が文鮮明のウルグアイ・オアシスを緑に保ち、北アメリカと南アメリカにいる糾弾者たちを彼から遠ざけているのだ。
「わが父文鮮明の正体」
洪 蘭淑 (著、原著)、林 四郎 (翻訳) 218~223頁
一九九二年、(韓鶴子)彼女は私に、日本の十都市を回るツアーに同行するよう言った。私はまた妊娠していたが、自分の状態を義母には隠していた。妊娠だけが、私のもっているもののなかで、本当に私ひとりのものだった。私は選択の余地がなくなるまで、それを文鮮明の家族とは分かち合わなかった。日本で「真のお母様」に捧げられている崇拝に満ちた献身は、私が韓国で経験したなにものをも超えていた。私は、文夫人が最高のホテルのスイートルームと最高の食事で迎えられることは予測していた。しかし、私が日本で見たものは歓待を超えていた。彼女の食器でさえ、二度とほかの人が使用しないように別にされた。なぜならばそれは「真のお母様」の唇に触れたからだった。日本人が文夫人に奴隷のように仕えることは、彼らが「真のお父様」を待ち望む気持ちを反映しているのだろう。文鮮明は、アメリカにおいて脱税で有罪になったため、日本への入国を禁じられている。
日本は帝国的カルト発祥の地と言ってよい。十九世紀、日本の天皇は神性を宣言され、日本の民衆は古代の神々の子孫であると宣言された。第二次世界大戦後の一九四五年、連合国により廃止された国家神道は、日本人にその指導者たちを崇拝することを要求した。権威に対する従順と自己犠牲は、最高の美徳と考えられた。
したがって、文鮮明のようなメシア的指導者にとって、日本が肥沃な資金調達地であることにはなんの不思議もない。年配の人びとには、自分かちの愛する者たちが霊界で平安な休息に達することを切実に望む気持ちがあるが、熱心な統一教会員たちはそれに目をつけた。彼らは何千人もの人びとに、これを買えば亡き家族は必ず天の王国に入れますよと言って、宗教的な壺や数珠、絵画を売りつけ、何百万ドルも巻き上げた。小さな翡翠の仏塔がなんと五万ドルで売れた。裕福な未亡人たちは、愛する人びとが地獄でサタンと苦しむことのないようにとだまされて、統一教会にその全財産を寄付させられた。
それは驚くべき光景だった。教会の会員たちが文夫人の世話をした。教会幹部たちは彼女にお金の袋をもってきた。あるとき、ひとりの会員が私の髪を整えているとき、私は時計をどこかにおいてきたのに気づいた。一時間もしないうちに、日本人たちからの贈り物として、高級時計を載せたトレイを手に、宝石屋がホテルの部屋にやってきた。「たくさんお取りください。ご家族の分もどうぞ」と宝石屋はしつこく勧めた。自分の時計を見つけ、彼らの気前のよさをていねいに断ることができたとき、私はほっとした。
日本経済は花開いていた。この国は急速に、文鮮明の金の大部分の出所となりつつあった。一九八〇年代半ば、教会幹部は、統一教会が日本一国だけで年に四億ドルの資金を調達した、と言っていた。文師はこの金を、彼の個人的快適さとアメリカや世界のあちこちで展開する事業への投資に使った。それに加えて、教会は、貿易会社、コンピューター会社、宝石会社を含む利益のあがる企業を、日本に多数所有していた。
文師は日本との重要な金銭関係を神学用語ご説明した。韓国は「アダム国」、日本は「エバ国」である。妻として、母として、日本は「お父様」の国である文鮮明の韓国を支えなければならない。この見方にはちょっとした復讐以上のものがある。文鮮明や統一教会におけるその信者も含めて、日本の三十五年間にわたる過酷な植民地統治を許している韓国人はほとんどいない。
文鮮明の家族は韓国を出るとき、あるいは合衆国入国の際はいつも、税関で隅から隅まで調べられる。今回の旅も例外ではなかった。文夫人が取り巻きを引き連れている利点のひとつは、大勢の連れと一緒に入国することである。私には手の切れるような新札二乗で二万ドルが渡された。私はそれを化粧ケースのトレイの下に隠した。シアトルで税関の係官が私の荷物を調べ始めたとき、私は息を止めた。私はグループの最後に税関を通った。私のバッグを探っている女性は、なにかを見つけだそうと心に決めているように見えた。私は、英語が話せないので彼女の質問がわからないというふりをした。アジア系の上司がきて、彼女を叱った。「この人は韓国語しかしゃべれないのがわからないのか」と上司は私に微笑みかけながら言った。「通してやりなさい」
私は密輸が不法であることを知っていた。けれども当時の私は、文鮮明の信者は「より高い法」に応えるのだと信じていた。質問せずに仕えるのが私の義務だった。私は逮捕されるよりもお金を失うことを心配して、言われたとおりにした。彼らがお金を見つけなかったことを、私は神に感謝した。私は世界を歪んだレンズを通して見ていた。そのなかでは、神は実際に私が税関の係官をだますのを助けたのだ。神は彼らがその金を見つけることを望まなかった。なぜならば、その金は神のためのものだから。
もし私がそのことをちょっとでも批判精神をもって考えたなら、私は街頭の物売りや仏塔の売り手たちが集めた金は、神とはほとんど関係のないことに気づいただろう。
統一教会女性信者が自殺した「四千人」南米大移働の謎
南米ウルグアイの首都モンテビデオで、三十八歳の日本人女性が高層ホテルの十七階から飛降り自殺する事件が起った。亡くなった本村波子さんは統一教会の信者で、現地での集会に参加し、ブラジルに行く途中だった。実はここにきて、統一教会では四千二百人もの日本人女性を南米に送り込んでおり、彼女もその一人だったのだ。合同結婚式の次は信者の南米大移動を始めた統一教会の狙いは何か。
「最初の連絡が入ったのは、十二月三日の夜のことです。統一教会の者と名乗る人から電話があって、いきなり ″波子さんが事故に遭われてお亡くなりになったようです″ と言われたんです。突然のことで、一体何のことやらわからなくて、何度も聞き直したんですが、 ″まだ詳しいことはわからないが、どうも崖か何かから落ちたらしい″ ということでした。あとは ″とにかく現地へ行って欲しい″ と、それだけなんですよ。もう混乱してしまって…」
と語るのは、鹿児島の実家で連絡を待つ波子さんの母親である。悲報を受けた後、父親と妹が、波子さんのご亭主とともに現地へ急行した。
事件が起きたのは、現地時間で二日の夜九時十五分頃のことだった(時差はマイナス十二時間)。波子さんは崖ではなく、宿泊していたモンテビデオ市内のビクトリア・プラザ・ホテルの十七階から、入口付近に停めてあった車の上に落ち、即死したのだ。検死の結果、警察では自殺とほぼ断定している。
▲ 本村波子さんが亡くなったモンテビデオにあるビクトリア・プラザ・ホテル。
▲ 24時間営業の会議場とビクトリア・プラザ・ホテルの増築事業。シカゴトリビューンによると、このプロジェクトのみで8000万ドルの費用がかかったという。このホテルにはカジノも設置されている。
そもそも、波子さんがウルグアイ入りしたのは、十一月二十四日にモンテビデオで行われた、統一教会の関係団体である世界平和家庭連合が主催する ″姉妹結縁式″ に参加するためだった。
「姉妹結縁式は、世界平和家庭連合に所属する女性同士が ″家庭再建運動″ を展開する
にあたって、同胞と姉妹関係を取り結ぶというセレモニーです。家庭再建運動とは、夫婦愛や家族の絆、純潔の貴さなどについて語り合い、不倫や無軌道な性交、家庭内の無益な争いを排して、真の家族愛と平和を回復しようというもので、姉妹結縁式は一九九三年から行なっています」と解説するのは、統一教会の大江益夫広報部長。すでに日韓で十七万組、日米で一万八千組の姉妹関係が結ばれているのだそうで、今回は四千二百人の日本女性が、このセレモニーのためにウルグアイ入りしており、波子さんもその一人だったのである。
「現地では十一月二十三日の夜からセミナーが始まり、二十四日には姉妹結縁式が執り行われ、その後、再びセミナーが三十日まで続けられました。セミナーは文鮮明師を始めとした統一教会幹部による講話を主体としたものです」。
❖補足説明の追加
▲ 1996年11月、ウルグアイのモンテビデオにて韓鶴子の講演
トゥデイズワールド 1997年2月 p.23-24
「午後三時に私たちは客をシリンドロ屋内アリーナに連れて行きました。そこは初の国規模でのウルグアイ・日本間の姉妹結縁セレモニーが行われた場所でもあります。四千二百人もの日本人女性信者と千人ほどのウルグアイ人女性がキーノートスピーカーの話を聞きました。元アラスカ州知事ウォルター・ヒックル閣下や朴普熙博士、杉山もと子氏、世界平和女性連合の日本支部長、その他世界平和女性連合の地域部長を含むゲストが講演しました。
その後二日間、トーマス・ワード博士とスティーブ・ボイドが原理講論についての講義を行いました。
火曜の夜はお父様が戻り、全員に愛を届けました。彼は2時間のあいだ、皆に彼と協力し皆の祖国を救おうと情熱的に語りかけました。
(大江広報部長)「セミナーを終えた後、十二月一日より三々五々、南米各国の赴任先へ散ることになっていたのですが、今度の自殺は本村さんがブラジルヘ向う準備をしている間に起きたことだったのです」。
四千二百人もの日本人女性が(8000万ドルもの資金と共に)一度に押し寄せたのだから、全員が市内のホテルに泊れるはずがない。ほとんどの人はセレモニーの会場となった市営の体育館などに泊っていたが、波子さんは途中で体調を崩し、ホテルに移されていたのだという。
「四千二百人の中には、海外が初めての方もいますし、慣れない環境で体調がおかしくなることもある。その場合はホテルに移し、医者に診てもらうことになっていました。
多い時で二十人くらいの参加者がホテルにいましたが、本村さんもその一人でした。私の知る限りでは自殺の二日前からホテルに来ており、いわゆる鬱状態だったと聞いています」 (統一教会の現地スポークスマン)
ソウルの合同結婚式に参加
だが、波子さんの母親が、この説明に納得するはずがない。
「自殺だなんて信じられませんよ。向うに出発する直前にも電話で話しましたけど、全然いつもと変らない様子だったんです」 と、こう語るのだ。
「ブラジルに行くことは聞いていました。先月の半ば頃に電話をしてきた時に、実は今度一人でブラジルに行くことにしたって言うんです。そりゃ、猛反対しましたよ。だって、一年も行くというのですからね。それで、一年も子供たちを放っておいてどうするのかと言ってやったんです。
そうしたら、年が明けて三月頃には亭主が子供を連れて合流することになっているから心配ないと言うんですよ。結局、こっちがいくら反対しても聞かないし、本人がどうしても行くと言うので、私たちも諦めたのです」
それ程までに意志が固かったのも、その信仰歴を考えれば当然かも知れない。波子さんは、鹿児島の県立高校を卒業後、美容師の専門学校を経て、地元の美容院に住込みで勤めたが、その頃に統一教会に入信している。
一九八二年には、韓国のソウルで開かれた六千組合同結婚式に参加。日系ブラジル人のセルジオ・ウエムラ・敏一氏(四〇)と結婚した。
「結婚にはむろん反対しましたよ。でも結局は、本人が気に入っているのなら仕方ないと許したんです」と、母親が当時を振り返って言う。
「結婚した後は、二人ですぐにブラジルに行ったんです。五、六年むこうにいて、ある 一日突然、三重県から電話があつた。日本に戻り、これからは四日市で生活すると言うのです。何でも四日市にある自動車部品会社で仕事をするという話でした。そこにはブラジルから働きに来ている人たちがいて、二人で通訳をやっていたらしい。そのうち、子供も三人生れました。その会社も一年ほど前にやめ、その後は波子が保険の外交員、敏一さんは肉の配達の仕事を自分で始めたようでした」
その間も、両親は統一教会から脱会するよう、波子さんにことあるごとに勧めていたのだという。「特にこの二、三年は、テレビや雑誌で統一教会のことが騒ぎになったでしょう。やはりこのまま放っておいてはいけないと思って、もういい加減にやめなさいと何度も言ったんですよ。でも、その度にあの子は、テレビの話はデタラメだと言って、私たちの言うことをちっとも聞かなかった。今更言っても仕方ないけど、もっと強く言っていればこんなことにはならなかったでしょうに…。でも、自殺なんて絶対に考えられないですよ。教会の関係で何かあったんじやないでしょうか」悔やんでも悔やみきれない思いだろうが、今回の自殺については、二人の世話をしていた四日市の統一教会三重教区長を務める野呂和由氏も、こう首を傾げるのだ。
「今回の件は、本当に不可思議です。本村さんは信仰歴が長く、自殺が教理に反することは、十分承知していたはずなんです。本村夫妻は夫婦仲も良く、地区では ″模範的夫婦″ と言われていました。信仰も熱心で、毎週の礼拝は欠かさず出席していたんです。 そういう人が自殺するなんて本当にあり得ない。これまでノイローゼとか精神不安定になった話など、聞いたことがありませんでした」
ほとんどが既婚女性信者
では、波子さんに一体、何が起ったのか。「彼女の自殺の原因はわかりませんが、実は、統一教会内の自殺者の比率はかなりのものなんですよ」 と言うのは、統一教会問題に詳しいジャーナリストだ。
「宗教活動の滞りの責任はすべて信者個人に帰せられる。人間としての情や、欲求を押えつけて、神の摂理ばかりを反復して吹き込むから、心身が分裂して、ノイローゼ状態になる例は、結構あるんですよ」
とりわけ、今回の南米行きでは、四千二百人の女性信者のほとんどが既婚者だったという点を見逃すわけには行くまい。統一教会の信者に脱会の説得を行なっている日本キリスト教団の川崎経子牧師は、こう指摘する。
「今回、南米に渡航した既婚女性たちは、毎日子供のことを思っているでしょうね。ケガしたとか、病気になったという連絡が日本の家族から来れば、それこそ飛んで帰りたいでしょう。精神的には常に追い詰められた状態で、肉体的にも疲労して行く。精神、肉体ともに慢性的な極限状態へと追い詰められて行くわけです。そうして頭も朦朧として、何がどうなったかわからなくなりパチンと切れる。トランス状態の中、セミナーでは布教や経済活動についてハッパをかけられるのだから、精神錯乱に陥ることだって考えられますよ」
今後、さらに第二、第三の波子さんが出ないとも限らないのだ。が、それにしても、何故、既婚女性ばかりを南米に行かせるのか。川崎牧師が続ける。
「それは子供がいては文鮮明の計画に沿って動けず、統一教会にとって役に立たないからですよ。合同結婚式で祝福して一緒にしたはいいが、お腹が大きくなって第一線には立てなくなった。そういう女性を無理やりもう一度第一線に立だせようということでしょうね。子供の側にいたのではどうにもならないから、南米に単独で連れて行って働かせようということでしょう」
それこそ、世界平和家庭連合とは名ばかりで、逆に家庭の平和を破壊する行為としか言いようがあるまい。
「世界平和家庭連合なんて団体を隠れ蓑にして、既婚女性を無計画、無責任に海外に送り込む。行き先もアミダくじで決めるし、子供は置いていけという。これでは、あんまりですよ。彼女たちの子供、つまり孫を置き去りにされたご両親から、すでに十件ほどの相談を受けています。夫婦ともに病弱なのに、娘が突然 ″南米に行くから″ と、幼い二人の子供を押しつけて姿を消してしまったり、生後三ヵ月の赤ちゃんを親元に連れて来たと思ったら、翌朝には置き手紙をしてドロンなんて例もあるんです」(川崎牧師)
かつて〝親泣かせの原理運動″ と言われた統一教会の体質は、今も少しも変っていないのだ。
資金源をなくして衰退
もっとも、そこまでして南米に信者を大量移動させる背景には、この数年の統一教会の苦しい台所事情の問題があるようだ。
「霊感商法が問題になってから、教会の資金は激減しており、ピーク時の十分の一になっているとも言われている。そこにオウム事件も加わって布教活動もしにくくなり、文鮮明は経済活動の拠点を一気に日本から南米へ移そうとしているのです」と言うのは、ある元信者。
「統一教会(とそのCAUSAプロジェクト)はすでに、八〇年代から進出の足がかりを作っており、ウルグアイでは、今回信者が宿泊していたホテルを始め、新聞社 Últimas Noticias(ウルティマス・ノティシアス新聞)や銀行、大理石工場、印刷所などを買収・設立しています。
(グローバルポリシーフォーラム:アルゼンチンとの国境近くの観光リゾートに新たにカジノを設置しようとしているという。ウルグアイで所有する会社のうち、大きいものでは、リオプラテンセ・デ・オテレスS.A.社やホテル・オラシオ・キロガなどがある。)
(コンソーシアムニュース:文鮮明は、それに加えて、エックスフリゴリフィコ・ナシオナル冷蔵倉庫、アスティイエロス・ツァコス造船所とその他私有の港施設を買収したという)
あの国では外資一〇〇%の企業設立が違法ではないので、とにかく集めた金をガンガン投入したのです。そして、今度はいよいよ、人がガンガン投入され始めたということですよ」
▲ 霊感商法スキャンダルの際、日本で売られていた商品の一部。右上は天地正教詐欺とも関わっていた釈迦党。
ウルグアイだけではない。ブラジルやアルゼンチン、パラグアイなどにも資本投下を進めており、今回ウルグアイに送り込まれた四千二百人の女性信者は、百二十人ずつに分れて、北・中・南米の三十五力国に散って行くのだという。先のジャーナリストが言う。
「私は、ついに文鮮明の『サンパウロ宣言』が動き始めたものと見ています。昨年の三月に、文鮮明はブラジルのサンパウロで ″統一教会の基盤を南米に移し、宗教・言語・経済・科学の南北アメリカ統一を目指す″ という旨の妄想的ヴィジョンを掲げているんです。フィリピンでの一切の活動を禁じられ、イギリス本国と英連邦諸国への入国が事実上不可能になり、日本での活動も難しくなった今、新天地をめざして信者の大移動をしようというのでしょうが、とんでもない誇大妄想としか言いようがありませんよ」
そして、その一大デモンストレーションとして計画されているのが、来年の十一月二十九日にアメリカのワシントンDCで執り行われる予定の三百六十万組合同結婚式だと言うのだ。統一教会側は、
「ケネディースタジアムに八万人を集め、それを全世界百八十五力国に衛星中継して、世界的な合同結婚式にするつもりです。今回、セミナーを終えた女性たちは、各国でボランティア活動をしながら、この合同結婚式へのお誘いをすることになっているんです」(大江広報部長)と胸を張るが、果してそんな大風呂敷を広げて、思惑通りに行くものかどうか。
「いよいよ、統一教会も断末魔の状態まできているということですよ」と冷やかなのは、先の元信者である。
「結局、統一教会の唯一最大の資金源は日本に他ならなかったんです。それは我々信者が一番良く知っている。その日本を捨てて、信者を大移動せざるを得なくなった以上、衰退は確実なんです」
ここに至っても、まだ目を覚まさない信者がいることこそ摩訶不思議である。
元早大総長が集団結婚を徹底批判
統一教会
桜田淳子
山崎浩子に
ダマされるな
English translation of this article with an extended introduction
Rev. Moon’s Uruguayan Money-Laundry – by Samuel Blixen
Rev. Moon’s 1998 Uruguay Bank Scam – by Samuel Blixen
統一協会の素顔
-その洗脳の実態と対策
《著者紹介》
川崎 経子 (かわさき・きょうこ)
1929年東京都に生まれる。東洋英和女学院高等女学校卒業。中央大学修士課程了。日本聖書神学校卒業。日本基督教団谷村教会牧師を22年務めた後に隠退。現在はNPO小諸いずみ会「いのちの家」所長。「黒鳥・清水牧師裁判を支える会」の代表世話人を務めた。著書「原理に入った若者たち—救出は早いほどいい」(原理運動を憂慮する会)「自立ヘの苦闘—統一協会を脱会して」(共著、教文館)
目次
推薦のことば …… 5
はじめに …… 7
改訂にあたって …… 9
一 固い洗脳のとけるまで元 (統一協会員)、道子さんの手記 …… 11
二 道子さんの母親の手記 …… 31
三 珍味売りの実態 …… 45
四 尾驚での大惨事にみる統一協会の対外対策の一例 …… 69
五 マイク口での心情日誌原研所属のある女子学生のノートより …… 83
六 楽し<学んでよ<わかる原理講義 (案)
. 子どもの気持を理解したい親のために …… 101
七 原理青年のたどる心の旅路 …… 123
. 入教―活動―説得―脱会
八 統一協会からの脅迫・中傷・いやがらせ …… 201
その対応と対策
九 終わりにあたって …… 213
付録 原理用語解説 …… 217
救出を願っておられるご家族のために
(ホームぺ一ジ、関連書籍、相談窓口) …… 260
あとがき…… 263
装幀 熊谷博人
イラスト 牧 美奈
▲ ウルグアイのプンタデールエステのビーチにいる文鮮明と韓鶴子
スペイン語の情報
Información en español
Teología de Sun Myung Moon para sus rituales sexuales
Sun Myung Moon fue excomulgado en 1948
Transcripción del video de la Tragedia de Las Seis Marías
Moon y estudiante de Ewha Womans University – escándalo sexual en 1955
Secta Moon, a modo de introducción
Transcripción del video de Sam Park 2014
‘A la Sombra de los Moon’ libro por Nansook Hong
‘El Imperio Moon’ por Jean-François Boyer
Actividades de la Secta Moon en países de habla hispana
El declive del Grupo Moon en Uruguay
VIDEO: Negocio y religión: el grupo Moon en Uruguay
El misterio de la emigración de 4.200 mujeres de la Iglesia de Unificación a Sudamérica donde una de ellas se suicidó.
Martes, 3 de Diciembre de 1996 El Observador, Uruguay
Cinco religiosas que se encontraban en el Cilindro han desaparecido
Misionera de Moon se tiró del Victoria Plaza Hotel
Una misionera japonesa de la secta Moon aparentemente se suicidó ayer arrojándose del piso 17 del Hotel Victoria Plaza donde se alojaba, al tiempo que cinco de las 4.200 …en el Cilindro Municipal se escaparon de ese l… sobre las 20 y 45 horas de anoche, una misionera … al círculo de colaboradores del reverendo Moon … edificio. Su cuerpo pegó sobre un vehículo estacionado [y ella] murió instantáneamente. La Policía, si bien d … hipótesis del accidente, investiga las causas …de las otras cinco religiosas desaparecidas.
▲ El Cilindro Municipal, Montevideo
Miércoles, 4 de Diciembre de 1996 El Observador – Sociedad
El juez aguarda la autopsia de la misionera nipona
Versiones sobre suicidio de la japonesa
La persona que acompañaba a Namiko Motomura dijo a la Policía que se descuidó unos minutos para ir al baño, pero allegados aseguraron que la acompañante se durmió.
…La Asociación de Bancarios del Uruguay (AEBU) dijeron a …
… en el cual “repudiará las presiones” a que … del grupo Moon, mediante … [fe]deraciones fundadas en Uruguay” por…
Namiko Motomura se encontraba alojada en el Victoria Plaza en razón de su … esivo que arrastraba desde tiempo atrás. “No encontamos … sospechar un hecho delictivo detrás de la muerte de esta mujer” … [Sal]vador. Efectivos de la Seccional 1ª y de la Dirección de
Viernes, 6 de Diciembre de 1996 El Observador Sociedad
El magistrado recibió informe sobre la muerte de la misionera japonesa
La autopsia confirmó que fue suicidio
El juez Jorge Imas constató “contradicciones” en las declaraciones de allegados a la secta Moon pero que son “normales” en estos casos.
Presiones a empleados
Mientras tanto, el sindicato de trabajadores … desagrado” por la invitaciones … participar de las actividades de l … organizaciones del empresario …
Narrador de la BBC: “Sun Myung Moon construyó el primer hotel de lujo de Uruguay y también compró un banco. En una ocasión, los empleados del banco afirmaron que 4.000 Moonies japoneses habían aparecido de repente, depositando millones de dólares en efectivo”.
Juan Ramos (Asociación de Trabajadores del Banco): “El dinero aún tenía la banda de la Reserva Federal de EE. UU. alrededor. Se depositaron más de $ 80 millones en el transcurso de una semana”.
Narrador de la BBC: “Más de una vez las autoridades acusaron al banco de infringir las reglas bancarias. …”