ICSA 2014年7月、ワシントンD.C. ビデオの内容
ビデオへのリンク:https://youtu.be/xPwJYC9h93M
「すでに私について書かれた記事があります。読んでいる人がいるかもしれません。この記事は、マライア・ブレイク(Mariah Blake)氏という新聞記者が書きました。これらの記事は、“The New Republic” と “Mother Jones” に掲載されています。
[以下のリンクを参照してください。]
ですから、新しくないものもあるかもしれませんが、記事に記されなかった新たな情報もあります。このような情報が興味深いものであると望んでいます。
これは私にとっての初めての経験なので ― 私は初心者です ― 多くのことを伝えたいので、時間を無駄にしないために、(原稿を)私が読むのが一番良いと思います。
[サムはそばに座っているドナ・オーム・コリンズ (Donna Orme-Collins) を指しながら。]
サム (Sam):「彼女は、それを好きではないと思います。」
ドナ (Donna):「えぇ、その通りよ。」
サム (Sam):「彼女は、嫌だと思います。 …失礼。
[笑い声]
どこから始めたいかというと…、
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私は億万長者で統一協会の創始者であり、人類のメシアであると宣言した文鮮明牧師の隠し子(または、最近の記事で描かれたような「愛の子(不倫の子)」です。私の母は、スン.W.チョイ (Soon W. Choi 催淳華) で権威ある百万長者の貴族、チョイ家の子孫、韓国生命保険(韓国で2番目に大きな保険会社で、63階建てのソウルの象徴的な黄金のビル・今なお世界的にも最大規模の建物に本社がある)の前オーナーです。
私は巨万の富と狂信、偽善の世界に生まれました。私の人生は、お金、セックス、権力、陰謀に満ち溢れた韓国ドラマのように読むことができます。私は権力がどのように腐敗し壊れるか、どのように絶対的な権力が絶対性を壊すのかを直接目撃しました。私は人間が善なる意図と言っても、最終的にはその手段を常に正当化してしまうという狂信的な正義感でもってねじまげられ、地獄への道がどのようにして敷かれていくのかを見てきました。最近になって私は…[しばらく言葉に詰まる。ドナが「心配ないわ」と声をかけて、サムの左腕を持ってから…サム「少し時間をください」…]、拒絶されるという心理、奪われた機会を悔やむ心理、出自によって運命付けられた私の人生の大半 ― 日陰に生きる人生 ― が理解できるようになりました。
OK、それではここで私の学歴、専攻について。私は、ジョージワシントン大学で哲学と心理学の歴史の学士を取得、同じ大学の財政学の経営学修士(MBA)を修めています。この10年間、1999年に端を発する私の父と統一協会運動との秘密の約束に係わることで、一つの裁判が次の裁判を生むという形で法廷闘争が続いています。
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私の母と同じようにかつて私も、私の父、ソンミョン(文鮮明牧師)を人類のメシアだと信じるよう条件付けられていました。しかし私の母と違って――私の母は彼女の母(私の祖母)によって統一協会に導かれましたが――、私はそこに生まれてきました。私は、「改宗の経験」や家族との関係を絶つとか、それ以前の生活をあきらめるといったことを経験していません。教会が私の人生でしたが、自分について何かが違うと感じていました。その違いは私が12才の頃、自然に現れてきました。私の生物学的な両親は実際には、ソンミョン(文鮮明牧師)とスン.W.チョイ (催淳華)だということです。私が私の両親や兄弟(ボーヒ・パク〔朴普熙〕とその妻キス・ク・ヨン〔尹基淑〕、そしてその子供達)だと思っていた人々は、私の父から私の出自と本当の両親の身分を秘密にしておくように命令されていました。それは強制的な詐欺であり、父から母に成された数多くの未成就の約束、そしてそれこそが、統一協会運動と私たちが法廷で争っている核心なのです。
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私の母と文鮮明牧師との関わり合いは1953年、母が17才の時に始まり、父が強制的に母の処女を奪いました。その時、[ポーズ] 私の父は私の母にこう言った。「母が彼の永遠の花嫁、あるいは、統一協会用語で「真の母」になるよう運命付けられているので性的関係を持った」と。すみません、私はこれから統一協会の特殊用語を使いたいと思います。統一協会に従う人がいるならお分かりかと思いますが、ほとんどの方はご存じないでしょう。もしかたらこれを見る可能性がある統一教会信者たちがたくさんいるかもしれませんから、彼らのために役立つでしょう。
繰り返しますが、私の父は私の母にこう言った ― 彼は基本的に彼女をレイプした ―「彼は母と性的関係を持たなければならなかった。なぜなら天使長ルシファーが若いエバにしたことを覆(くつがえ)さなければならないから。」文鮮明牧師が語ったことは、聖書でエバは17才の時に天使長ルシファーによって誘惑され、それが聖書で記述されている人間の堕落の本当の原因だというものです。それが統一教会信者(ムーニー)の人間の堕落についての考え方です。
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まず父の霊的運動の発端の初期からの私の母の家族(チョイ家)の関わりについての状況、中心的役割を意識せずして、私たちの、私の父と統一協会運動との状況を理解することはできません。統一教会信者、そうでない人たちのどちらにとっても同様に、チョイ家族の「隠れた歴史」の意味は抗し難く、深いものです。
1953年、私の父が私の祖母に会った時、祖母の名前から、祖母が父にとってとても重要な人物になることを知っていました。祖母の名前はダクサム・リーで (李得三)、文字通り訳せば「3を達成する」という意味です。この名前は標準的な韓国の名前からすればかなり奇妙な名前でした。しかしどの統一教会信者にとっても意味の深い名前です。なぜなら原理の中心的命令(統一協会の信仰的システム)の三大祝福を現わしていたからです。これは創世紀1章28節「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」です。
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チョイ家は豊かな富を所有していたので、私の祖母は初期の統一協会運動の主要な財政後援者であり、50年代、60年代を通して何百万ドルを寄付しました。実際、初期の協会では、祖母によって助けてもらわなかった魂はおそらく一人もいなかったくらいです。それが祖母が統一協会で、それほど愛される人物だったという理由です。祖母は1950年代中ごろに百万ドルのビルを売却するのに加えて、教会に収入も寄付し、1973年に亡くなるまで何十年にもわたって膨大な金額を寄付し続けました。
[8:10~40 鼻水のため、講演中断。]
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私の祖父、スン・モ・チョイ (崔聖模) は、その時代の本当の実業家でした。祖父は26才にして自力で億万長者になり、(当時の百万ドルは本当に意味のある金額です)、3度も財産を作ったり失ったりしたにもかかわらず、祖母が統一協会に入った1950年台には、10億ドル企業に成長する可能性を秘め、そしてそのように成長した、シン・ドン・ア グループ(チョイ家の所有する複合企業体)の基礎を固く築き上げました。祖父の事業が拡大するにつれて、祖父の影響は韓国、ソウルの権力への道へと繋がっていきました。多くの機会に、当時の大統領パクチョンヒ(朴正熙) の個人的な要望で、ワシントンDCでのアメリカとの貿易交渉を導く為に使われました。祖父はパクチョンヒ(朴正熙)時代の間、青瓦台(韓国大統領官邸・ブルーハウス)へのホットラインを持ち、アメリカの経済顧問委員会に似た組織の長を務め、経済政策について大統領にすぐ近くでアドバイスしていました。
私の祖父は一流の企業集団を作り、祖父の個人的に近い友人であるサムソン(三星) グループの創始者であるピョンチョル・リー (李秉喆)に次いで韓国で二番目(税金の支払額で判断すると)の富豪になりました。しかし皮肉なことに、彼ら、韓国で最も裕福な二人が会って食事をすると、最後にはたいていビジネスではなく、家族とか子供のことを話すようになっていました。このことから彼がどのようなタイプの人間だったのかが分かります。祖父の成功や権力にもかかわらず、祖父にとって何が最も大事かというと、子供達や従業員の幸福でした。心底、祖父は謙遜で崇高な人物であり、その世代では最も道徳的な実業家と思われていました。私と母はそのことを最も誇りに思っています。[客席の女性から「特に韓国では」]…そう、特に韓国では当時は、韓国で多くの汚職がありました。そして今でも基本的にはそのような汚職が続いています。
この家族の地位を与えられたことで、私の父がチョイ家の支援を得ることに釘付けになったことが容易に分かります。私の祖父の支援で、権力(青瓦台)への道、そして財源が父の初期の運動に大きく開かれたのでしょう。確固たる後ろ盾によって、どれほど高く昇れたのか測りしれません。私の父にとってチョイ家は、メシアとしての夢を成就する為の王冠の宝石だったのです。統一教会信者ではない人にとっては、次のことは馬鹿げたことですが勘弁して下さい。私の父は母に「神はチョイ家を通して人類歴史全てを『成就』しようとしている」と繰り返し言っていました。父は、私の祖父が歴史的に大天使の立場に立っており、私の二人の叔父(私の母の弟達)は歴史的にカインとアベルの立場、私の母と姉は ― 祖母が1953年に協会に入った直後に、二人ともすぐに入りました ― 、歴史的にレアとラケルの立場に立っていると信じていました。
私の父は、血のつながった姉妹と結婚して、彼女達とそしてその僕達との間に、12人の息子をもうけて、聖書のヤコブの人生をモデルとしなくてはならないと信じていました。ヤコブのように父は最初、年上の姉(私の叔母)と1960年に結婚し、7年後に離婚して、その後もっと気に入っている妹、私の母と結婚することを計画していました。1960年に至る間に協会のほとんどの者は、父の二人との結婚の計画を知っており、私の母が統一協会の本来の「真の母」であることを認めていました。父によると、もし父がミッションを正しく遂行するとしたら、ヤコブが行った困難なことをモデルとして、チョイ家の家族の中でのこのような決定的な関係をしっかりと得る必要がありました。
13:00
不幸なことに父の過剰な性衝動のせいで、他の女性数人との意図しない妊娠を引き起こすことになり、叔母の父に対する信仰は地に堕ち、ついに叔母は1959年末の公式な約婚のすぐ後に統一協会を去ることになりました。このようなことはすべて、誰もほとんど知りません。これは隠された歴史です。都合が悪いので彼らは黙って隠しました。これは破門であり、彼らが1960年から人々に教えてきたことと矛盾しています。私の叔母が婚約を破棄した後、父は急降下していきました。7年に渡って育んできた父のミッションの中心的な関係は、単純に蒸発してしまいました。自分自身の責任を認めるよりもむしろ、父は私の叔母とチョイ家が彼を失敗させたと責めました。これは文鮮明の典型的な手口です。自分を責めるよりも責任転嫁をして、すべて他の人を責めます。しかしながら父にはジレンマがありました。「天のスケジュール」を守り1960年の春、40才の時には結婚していなくてはならなかったのです。統一教会信者は、40という数字が宇宙的に重要な意味を持っていると信じており、約4ヶ月の間に早急に花嫁を見つける必要があったのです。
どのような反動が起こったかについて話しましょう。父がハンジャ・ハク(韓鶴子)、現在の文夫人が妻となった時、そこで基本的に何が起こったかということです。私の叔母達の裏切りを、父の権威と願いに対する個人的な反抗と信じた為に、チョイ家族から拒絶されたと感じ、韓鶴子、現在の文夫人を選ぶことになったのです。新しい花嫁を見つける唯一の基準は、彼女が「無名」であり、両親の許可が要らない娘であるということでした。10代の娘としては韓鶴子は賢く働き者で、可愛い娘でしたが、彼女にとって不幸なことは無知で冷酷な母がいたことです。色々な意味で韓鶴子は環境の犠牲者でした。彼女は母(シングルマザー)と既婚の男性との情事の不法の産物という犠牲者でした。彼女の母が統一教会に入って女中として台所で働く前、この男性と彼女の母は同性セックスのカルトに参加していました。生物学上的な父が韓鶴子を自分の子として主張しなかったので、両親の許可は問題にはなりませんでした。
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話しを1964年まで進めると、世界を制覇するという私の父の壮大な計画は順調に進んではいませんでした。メシア――私の父――の完全な花嫁、韓鶴子との1960年の聖なる結婚から4年後、世界からはほとんど注目されなくなりました。ここで1960年の統一教会信者の一般的な信仰を理解する必要があります。統一教会信者は実際、私の父と韓鶴子が結婚するなり、天が開き、世界がひれ伏し、父をメシアとして、その妻を全人類の真の母として認めると考えていました。これはカルトにありがちな魔術的な考え方の兆候です。しかし現実に待ち受けていたのは大きな失望でした。彼らの長子エイジン(誉進)は「天の王子」として最初に宣言されるはずでしたが、結果として女の子でした。3番目の子ヘジン(恵進)は産まれてすぐ亡くなりました。信者の増加という点では停滞し、財政的にも苦闘していました。ここで当時富と影響力を広げ繁栄し続けていた私の祖父との間で明暗がはっきりしてきました。父は韓鶴子と結婚したことは間違っていたという結論に達しました。軌道修正をしてチョイ家との本来の計画(文鮮明曰く「チョイ家の摂理」)に戻る必要がありました。
1964年の春に私の母が下した決断 ― ジョージタウン大学で学士課程を続ける為にアメリカへ行く ― は、即座に父の計画を実行に移させることになりました。どうしても母は父から、ソウルから離れたかった。少しでも韓鶴子に息をつく暇をあげたかったのです。これは分かってほしいことですが、1960年に韓鶴子が父と結婚してからというもの、韓鶴子と母はとても居心地が悪かった。というのも協会の全ての人が、韓鶴子が必ずしも予定されていなかった立場を占領していたのを知っていたからです。だから韓鶴子の母は、彼女に父との息子を出来るだけ多く産むように勧めました。なぜなら、息子が一人増えるごとに、父への掌握を強められるからです。
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それにもかかわらず父は決意を固め、計画を確実にするため、そして母を失わないように韓国・ソウルのチョンピョンの宿所で内密に統一協会公認の儀式を行い、1964年に母と結婚しました。父にとって何が重大な局面だったのかが分かるでしょう。もし母がアメリカに旅立てば母を失い、それによってチョイ家の富が利用できなくなることを恐れたのです。父と教会を守る唯一の手段は、私の母の、父と教会に対する忠誠心と献身による祖父からの寄付であるがゆえに、母を失うということは存在の危機に父が直面することにもなるのです。さらに最も重要なことは、統一教会信者によると、父が私の母と結婚し母との子供を授かることで、ヤコブの人生やその路程をモデルとするという ― 統一原理によれば父にとって最も重要な命令 ― ことに父が成功するのです。それ以来、原理講論は変質しました。今の原理講論は以前にあったものとはかなり異なっています。彼らは、彼(文鮮明)が現在結婚している文夫人(韓鶴子)の後に起こった事実に合わせて原理講論を調整、微調整しなければなりませんでした。
母がアメリカに着くやいなや、すぐに父は母を追って1965年アメリカに行きました(母は1964年にアメリカに着いたのですが)。「全てを危険にさらして」(これは私の父自身のことばですが)、私を作る、すなわち母を妊娠させるためというのが唯一の理由です。もし妊娠しなければ、父は母を失うからです。
父は母の妊娠をただ確認した後に、母の側を離れました。1965年の約3か月間の滞在でした。私は次の年の1966年に生まれました、そして後は知っての通りです。問題の真実は、私が生まれた時、文夫人ははっきりと彼女の意図 ― 父はチョイ家の摂理に戻ることを明確にさせていたので(多分そうだったのでしょう)、文夫人が、父の妻や「真の母」としての彼女の地位を退いて私の母のために地位を準備し、母を支持したこと ― を私の祖母に伝えたことです。しかし母の思いやりが、韓鶴子を退けて統一協会で言う「真の母」の正しい地位に母を据えるという父の計画を妨げました。母は韓鶴子の可能性を信じたかったし、また女性として韓鶴子や彼女の4人の幼い子供達を追い出す心を持っていませんでした。
その理由は、彼女(私の母)は私が生まれた後、私を手放さなければならなかったからです。彼女はそれを分かっていました。今思えば、もし母が今知っていることをその時に知っていたら、もっと大きく違った態度を取ったことでしょう。私が生まれた後、父は母ともっと子供を持ちたがりましたが母は拒否しました。なぜなら次に生まれてくる子供達が母から取り上げられ、他の家族で育てられることに心を痛め、私の祖父や世界から秘密として隠されることに耐えられなかったからです。
21:35
今説明したことは、統一協会の隠された本当の歴史です。歴史的記録を正すためにこの壇上に立つまで長くかかりましたが、ついにこの日が来てこの秘密という重荷を降ろせたことにほっとしています。統一協会や統一協会の「真の母」としての文夫人、「真の子女」としての彼女の子供達の同胞性や統一原理による合法的後継者とのかかわり合いを出すと、なぜ統一協会運動がこの情報を覆って隠しておきたがったのか、なぜ秘密を保持し、秘密にしておこうとして異常な法的期間が必要になったのかが簡単にわかります。母が統一協会の正しい「真の母」であることを証明することはそれほど難しくはありません。というのも文夫人自身が、1966年、1967年と私の母に彼女の位置を空ける準備をしていた時点ですでにそれを証明していたからです。しかし莫大な富と特権、絶対的権力へのへつらいの世界に囲まれた時間の経過の中で、韓鶴子がどのように若い頃の意識からずれていったのかが容易に見えてきます。さらには彼女自身の母親によって育てられた悲しい現実や、彼女自身の子供達をちゃんと育てる技術を全く身に付けられなかったこと ― 今日ほとんどの人が非難するように ― が簡単にみてとれます。統一協会運動に対して正当な相続人であるという私の主張の真価を示すなら、これは非常に簡単なことですが、私の誕生のタイミングと状況を見てもらえば分かります。
もし韓鶴子が統一協会運動の真の母として運命づけられていたなら、なぜ私の父が「神性で聖なる」結婚から抜け出して、私を作ったのでしょうか。なぜその時、父は私の母にそうすることは「全てを危険にさらす」と言ったのでしょうか。ところで私の本ではその点に関して、統一協会の感覚で言えば私はかなり重要な宇宙的合理性であり、それが私の義理の兄弟たちの一部が私を嫌ったり冷淡にあしらったりする理由の一つである(と記しています)。文家の悪循環、自己愛性パーソナリティ障害に傾いた性癖、これは親から子へと受け継がれていき、誤った絶対的考え方(彼らは特別で、それゆえに信者を虐待してもよい)のせいなのです。この点に関して私は大丈夫です。この手の考え方や態度というのは、私が彼らと分かち合えないものです。
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さてどうか考え違いをしないで下さい。私は次のメシアやそのたぐいのものになろうと運動をしているのではありません。というのは率直なところ関心がありませんし、さらに他人の財産を使ってまで他人より優れているとか、特別だと感じなくてはならない必要性に苦しんでいるわけでもないからです。」
ドナ (Donna):「彼は、そう言っているですが、本当はそれを望んでいますよ。」
[笑い声] …
ドナ (Donna):「…あなた(サム)はなれるだけの十分特別な体験をしているわ。」
[笑い声] …
サム (Sam):「本当ですか?! 通用しないよ。」
ドナ (Donna):「十分通用するわ…」
[笑い声] …
サム (Sam):「…まぁいいでしょう。」
ドナ (Donna):「失礼」
サム (Sam):「私は自分の限界を知っているし、神に近づくために誰もが私を必要としていると考えるほど私は愚かではないと思いたい。神が何を望んでいるかが分かる本物の「特別な」洞察力があると主張したり信じたりすることは、全くのうぬぼれに他ならない破滅に至る考えです。
母と私は、ほとんどの人にとっては理解することの困難なユニークな人生を送ってきました。私たちにとっては唯一知り得る人生ですので他と比較することはできません。しかし外側から見るなら、今はその珍しい人生に感謝しています。けれども私たちの回復への道は、この部屋の多くの人と同じように、長くてつらい闘いでした。愛する人たちと、私たちの理解を超えて至る所にあった恵みと愛との支えなしでは、私たちはやってこられませんでした。私たちは普通の人のように見え、聞こえるかもしれません。しかし私たち自身の中には永遠に刻み込まれた傷跡があるのです。
私の好きな引用、カリール・ジブラン (Kahil Gibran) からの引用ですか、そこで彼はこう言いました。「悲しみがあなたの存在をえぐれば、えぐられたところにそれだけ喜びをたくわえることができます。」
26:15
私たちは幸運だったと思います。なぜなら私たちは多くのことを乗り越えられたし、ずっと耐えてくることができ、今はより多くを共有することができるからです。
そしてこの経験からとても祝福されました。ICSAに来るという驚くべきことにもなっています。ここには多くのSGA(Second-Generation Adult; 二世の大人)、学者そして、一般の方々がおられます。これは今後の私にとって非常に強力と勇気を与える経験となっています。ここに人々が自身の経験から立ち上がり癒すための希望と方法があります。ありがとうございます。みなさんに感謝します。[総立ちの拍手 ]
母は17才のときに父からの性的搾取に耐えました。そしてこの人の為に権威者によって逮捕され取り調べを受けました。この人を擁護して10億ドルの相続を放棄しました。この人のために秘密裏に息子を身ごもり、その息子を差し出すように強いられました。そして今や他の多くの統一協会信者と同じように、父と統一協会運動により私たちが被った(こうむった)強制的な支払いを巡る5年越しの法廷闘争によって、私たちは抵当流れ処分にされ破産に瀕しています。私の場合はこの人からの承認を長い年月をかけて求めてきました。しかし今となっては彼の自己愛のせいで感情的に無理だと悟りました。私自身、自分の息子をもったことによって私は悟りました。息子のいない人生を送ることはとうてい想像することができないものであり、息子と会うこともできず息子のいない人生を送るという父の選んだ人生がどんなに悲惨なものかを。私の父は本当に悲しく悲惨な人間です。父についての結論はこうです。『全人類の真の父・メシアであると主張できない者であり、また自分の息子の父親でもない』。つまり究極の偽善者です。
[拍手]
29:38
既に触れたように、この5年以上に渡って母と私は、父と統一協会運動のせいで被った法廷闘争に巻き込まれています。2千万ドル(私たちの法的クレームの価値)は誰の基準でも大金ですが理解できるでしょうか。日本での霊感商法――彼はそれを十字架の出来事だと信じています――によって強制的に集められた資金をとり戻す、または再請求する為に訴訟した人々がいますが、私たちも同じことをしています。私たちの訴訟は、1953年に始まり20年以上に渡ってなされた私の祖母とチョイ家の何百万ドルの献金に関してです。もう一度繰り返しますが、今日のドルにすると実際2千万ドルをはるかに超える価値に相当するものですから、間違いなく統一協会側はとてもお安くしてもらっているのです。再び結論を言えばこうなります。『私の祖母や母は、統一協会がした運動を承認しませんでした。二人とも奇妙な人格性や、協会員の霊感商法への隷属 ― 特に日本での多くの者が貧窮させられた ― を認めませんでした。韓国人を中心としたエリート支配層を造り出し、そこで文一家の一集団を守る繭(まゆ)が維持され強化されることを認めませんでした。もし統一協会が聖書的、創世記に基づく組織になろうと望むのなら、その名前が表すごとく”統一”に立ち戻る必要があります。協会員の大多数が何も所有していないのに、文一家が何十億という莫大な海外の預金を持っているというのは、文一家が欲と腐敗にまみれている以外の何ものでもありません。これらが示すように、統一協会運動が一つの世界家族を造るという原点から始めることを共有し、口先だけにならないようにすべき時が来ています。今日私たちがここに来たのは、願わくば、他の人々が勇気を持って誘惑の言葉に立ち向かい、残念なことに統一協会運動がこれまでしてきた嘘をつくことに加担するのを止めるためです。
熱心に私の話しを聞いてくださりありがとうございます。
[拍手]
32:13
疑問に思う人がいるかもしれませんので、もう一点お話しして終わりにし、後はドナに任せたいと思います。それは、なぜもっと早く人前に出てナンスク・ホン(洪蘭淑)とドーナ(Donna)をサポートしなかったのかということです。それは単に私が愚直だったと今気づいています。父との和解に集中していました。協会ではいろいろなことがあっても、彼は私の生物学的な父親です。彼の息子として、私は本当に彼が私を愛していたと信じたかった。彼は本当に少しでも私のこと思っていたと信じたかった。それを諦めることは最も困難なことでした。訴訟の価値以上に、法的費用に多くを費やすという法廷闘争のようなものを経験すると、そのような人々の性質が分かるものです。どう血縁を取り扱うか、私の母の犠牲は特に私を本当に大きく変化させました。しかしそれは遅くなりました。というのも私がそれをずいぶん後になってから経験したからです。それが私の転換が起こった理由で、私が今日ここに来るまでに長くかかった理由です。しかし少なくとも今日ここに来られたということ、それが最も重大なことです。私は皆さんに感謝したいと思います。」
[拍手]
講演ビデオ終了
ICSAは International Cultic Studies Association の略。国際カルト研究協会。詳しくは同協会のURL http://www.icsahome.com/ (英語のみ)を参照。
ソウル63ビル。1985年にオープン。ソウルを代表する観光名所に挙げられる。漢江のふもとの黄金色に輝くビル。名前の通り地上60階、地下3階の全63階
訳出する上で聖書の言葉は『聖書(新共同訳)』(日本聖書協会)を用いた。
訳語として、『預言者』(カリール・ジブラン著、佐久間彪訳、至光社、1984年、31頁)の言葉を用いた。ここでサムも引用しているジブランの原語は “The deeper that sorrow carves into your being, the more joy you can contain.”
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ここで、2015年の食口たちのコメントに対するサムの応答を読むことができます。 リンク
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複雑です。 これは統一教会史から抹殺されている部分です。
文教祖の妻:崔先吉
崔先吉の叔父:崔聖模
崔聖模の妻:李得三
崔聖模の長女:崔淳実
崔聖模の次女:崔淳花
崔聖模の長男:崔淳永
崔聖模の次男:崔淳光
崔聖模の三男:崔淳吉
李得三夫人の夫の崔聖模氏が文教祖を警察に突き出し、統一教会を叩きたい気持ちもわかりますよ。
はじめは崔聖模氏が文教祖を憎んでいたのは、姪である文教祖の妻の崔先吉夫人のためだと思っていましたが、どうも自分の妻と文教祖の関係に激怒して文教祖を「悪魔」呼ばわりしたようです。
もうぐちゃぐちゃです。