▲ 崔先吉は文鮮明の最初の妻でした。彼女は、文鮮明が2人の信者と血分けの儀式を行っているのを目撃しました。彼女は自宅に帰り、文鮮明がそこに保管していた野球のバットを持って教会に戻りました。そして、それを使い教会の建物を傷つけ、世界基督教統一神霊協会 (統一教会) と書かれた看板を破壊しました。
▲ 文鮮明は、1948年に長老教会から破門されました。当時、彼は3人の子供を持つ既婚女性であった金鍾和との重婚のために投獄されていました。彼はまだ最初の妻、崔先吉と婚姻関係にあったからです。崔先吉は、最終的に1957年1月8日に彼と離婚しました。
複雑です。これは統一教会史から抹殺されている部分です。
文教祖の妻:崔先吉
崔先吉の叔父:崔聖模
崔聖模の妻:李得三
崔聖模の長女:崔淳実
崔聖模の次女:崔淳花
崔聖模の長男:崔淳英
崔聖模の次男:崔淳光
崔聖模の三男:崔淳吉
李得三夫人の夫の崔聖模氏が文教祖を警察に突き出し、統一教会を叩きたい気持ちもわかりますよ。
はじめは崔聖模氏が文教祖を憎んでいたのは、姪である文教祖の妻の崔先吉夫人のためだと思っていましたが、どうも自分の妻と文教祖の関係に激怒して文教祖を「悪魔」呼ばわりしたようです。
もうぐちゃぐちゃです。
▲ 金順哲(左)、文鮮明、李得三(右)
崔聖模씨別世
新東亜「그룹」會長
26일상오
◊ 故崔聖模씨
新東亞그룹 崔聖模회장이
지난26일 宿患으로 別世、親知및 財界重鎭등 弔客이참석한가운데 28일상오 京畿도楊州군瓦阜면月文리 선영에서 장례식이엄수됐다。
享年67세의 故人은 黄海道沙里院출신으로 지난55년釜山冷凍을 창업한이후 東亞綜合産業、新東亞火災、韓國메타놀、泰興産業、大成木材등을 설립해 新東亞그룹을 이뤘으며 統 一主體國民會議운영위원과 全経聯부회장을 歷任한 重鎮實業人이다。
유족으로는朴貞淑여사와 4男 4女가 있다。
「私の一族は統一教会の餌食にされた」
大韓生命会長が全告白
韓国経済界の重鎮 • 崔淳英氏