日本の狂気
勝共連合と原理運動
(1971年)
荒井 荒雄 著
目 次
本書に寄せて
異端邪教の撲滅を願って……
日本ィエス・キリスト教団宣教研究所長・荻窪教会牧師森山論… 一
クリスチャン・フラィト・ベドラーズ…
相模工業大学助教授佐伯真光… 四
不思議な統一協会の行動
原理運動対策全国父母の会副会長大原清三郎… 七
第一章 原理運動から勝共運動へ
一 私は何故にこの本を書くのか 一七
序にかえて 一七
何も知らない大学教授連 二五
何も知らない愛国団体の人たち 二九
敵を知らない新左翼の人たち 三二
利用するのか、されるのか自民党 三三
利用される反共クリスチヤン 三六
だまされる一般市民 三九
二 七十年代課題の数々 四二
三 現代と狂気 四四
L・S・Dと原理運動 四四
白日のもとでは化物は消える 四八
第二章 教祖文鮮明について
一 出合い 五二
二 教団内にみる文鮮明像 六〇
教祖の名を知らない信者たち 六〇
文鮮明といぅ名前 六四
一なる御方 六六
明らかにしないその過去 七一
教祖の奇蹟 七二
文鮮明の神通力 七四
文鮮明は本当に神なのか 七六
後光の見えなかった文鮮明 七九
文鮮明はメシヤかョハネか 八一
韓国協会本部にみられる文鮮明像 八三
文鮮明のメシヤ宣言 八五
〝私はメシヤとすることはできない〟 八七
聖典に描かれた文鮮明像 八九
三 文鮮明教祖の経歴を明らかにする 九〇
四 混淫事件—このメシヤの恥部 九四
怪奇な「血分け」と「霊体交換」 九四
混淫罪で文鮮明投獄さる 九六
複雑微妙な混淫系譜 九八
韓国に於ける混淫派の教団 一〇三
韓国で問題になった混淫事件公開状 一〇四
第三章日本統一協会の布教活動
一 原理運動発展の足どり 一一三
崔翔翼の密航と伝道の第一歩 一一三
はじめて聖日礼拝を行なぅ 一一五
立正使成会からの大量入信 日本統一協会の基礎なる 一一七
意外!日本の父崔翔翼の破門 一二一
二 統一協会の組織 一二五
三 全国大学連合原理研究会 一二九
新入大学生をねらえ 一二九
誤れるエリート意識 一三一
統一協会のアキレス腱 一三二
四 修練会—集団催眠教育の実体— 一三四
統一協会の洗脳機関 一三四
悪夢だった修練会 一三六
原理運動の密室のなかで 一三八
〝修練会でナゾの変死〟事件 一四八
集団洗脳のおそろしさ—人 格の崩壊 一五一
何の目的のために? 一五四
五 成約結婚—神の子女を殖やす宗教集団結婚— 一五六
〝出雲の神〟となった文鮮明 一五六
成約結婚のめざすもの 一五九
(イ)原罪のない子を生むため 一五九
(ロ)全人類を一つの人種に 一六一
(ハ)宗教的世界制覇をねらぅ 一六三
果して原罪のない子が生れるか 一六五
日本民族の始祖アダムとエバになった久保木会長夫妻 一六七
六 何故、原理運動は日本の学生のみが真剣にやるのか ー六九
メシヤ病に対する免疫度—日本とアメリカとの伝道比較— 一六九
日本の良心のいたみ—韓民族迫害 一七三
日韓、若い世代間に横たわるもの 一七六
七 韓国に於ける統一協会の評価 一七八
八 日韓、国産宗教(創価学会と統一協会)の輸出入 一八二
第四章 統一原理に対する批判
一 その核心的震について……
. 原理運動対策全国父母の会会長高橋一博… 一八五
二 その神観……
. 日本イエス・キリスト教団宣教研究所長・荻窪教会牧師 森山 論… 一九三
三 その堕落論 ……… 同森山論… 二〇〇
四 救世論のまちがい … 同森山論… 二〇七
五 新興宗教(統一協会)のみるキリスト像…ソゥル草洞教会牧師 朴炯圭 二一六
六 ユートピァみ示教の幻想相模工大助教授佐伯真光… 二二六
七 統一球原理—統一原理、法華経、神道結合の失敗…… 二二二
第五章 新右翼をめざす勝共連合
一 勝共運動は統一協会保身の戦術 二三九
二 国際勝共連合の誕生—原理研究会に目をつけた笹川良一氏…… 二四一
三 同床異夢—愛国団体と勝共連合— 二四三
天皇より位が上の文鮮明 二四三
韓国は夫(アダム)で日本は妻(エバ)の立場 二四六
「神ながらの道」と「キリスト教的新興宗教」 二四八
勝共連合の志向するもの—新しい真理による新しい国家— 二四九
四 クオ・ヴァデス・笹川良一名誉会長? 二五四
原理研究会よりサタンにされた笹川氏 二五四
既成右翼から〝拒絶反応〟を受ける笹川氏 二五七
五 自民党艺授受関係 二六ー
権力へのもたれこみ 二六一
国際勝共連合の役割—赤旗の〝主張〟にみる 二六五
自民党の「勝共連合」援護は逆効果 二六八
六「反共は宗教界の聖使命」か 二七〇
久保木会長、統一原理の無力を告白 二七〇
宗教家は共産党と戦ぅべきでない云 二七三
共産主義政権下にも信教の自由がある 二七六
七 共気銃武装事件 二七九
八 韓国本国における勝共運動 二八二
九 すりかえられた世界反共大会 二八三
WACLとは 二八三
WACLを汚した勝共連合 二八四
一〇 勝共連合、統一協会の今後 二八七
90-104
ある。しかるに神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人の御方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、即ち、文鮮明先生である。先生は、幾十星霜を、有史以来誰一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさ迷い歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれた。人間として歩まなければならない最大の試錬の道を、すべて歩まなければ、人類を救いうる最終的な真理を探し出すことはできないという原理を知っておられたので、先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。そうして、ィエスをはじめ、楽園の多くの聖賢達と自由に接触し、密かに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。」
三 文鮮明教祖の経歴を明らかにする
私の手許には、私が某方面より入手した「文鮮明統一教会教祖の経歴」というものがある。検討したところ信憑性が強いものである。信者も知らない教祖の過去を知ることは、免角興味本位になり勝ちであるが、原理運動研究者にとっては貴重な文献となるので発表することとする。
文鮮明統一教会教祖の経歴
金氏(牧師)崔氏(教授)金氏(記者)証言
一、出生地平安北道定州
父母(農)長老派教会クリスチャン。文鮮明も父母の感化を受く。
一、生年月日 一九二〇年(大正九年)一月六日
一、学歴 一九四四年頃早大電気工学科卒業と言ぅ(文鮮明は改名された名前なので卒業か否か判名せず)
一、結婚 1 一九四四年頃崔モヨウ氏と結婚。
2 一九四八年頃崔氏は文鮮明の行動に不信を感じ離婚。
3 一九六〇年三月韓鶴子と再婚(当時一八才の高校生)
一、子供崔氏との子供一人。現在母不明の子供一人、韓氏との子供二人。(一九六四現在)
一、経歴 1 一九三六年十六才にて神の啓示を受くと言ぅ。
2 一九四五年八月一五日以降文鮮明一派(霊体交換派)平壊に参集し、一九四八年文鮮明逮捕まで、霊体交換布教(血分け)即ち姦通布教が盛んに行なわれたとの事
3 一九四六年から平壊にて既成教会改革と称し宗教改革運動興す。
4 一九四八年他教会教職者の投書及金某氏の告発にょり社会秩序侵害罪(姦通罪)として北鮮政府に捕えられ五年十ヶ月の実刑を言渡され興南刑務所に投獄される。
5 一九五〇年六月二五日朝鮮事変起る。
6 一九五二年九月六日、国連軍北上し興南刑務所開放釈放され、直ちに文鮮明は金元弼、朴鐘革帯同、釜山に行く。釜山にて風一洞、水昌洞、
影島等にて臨時集会開く。
7 一九五三年一二月影島にて劉孝元の賛同を受け後援を受く。
8 一九五四年五月一日、ソゥル特別市北鶴洞三九一に基督教世界統一神霊教会設立し霊体交換布教を行った模様(教会長劉孝元)
9 一九五五年七月四日、文鮮明外幹部四名及中堅信者風紀紊乱罪にて拘禁(女性信者との密通や姦通容疑にて)(文鮮明再婚するまで文鮮明と男女信者は特別の部屋で毎日午前〇時過まで談笑していた)以降韓国では邪教として急速に下火となる。
10 一九五五年一〇月七日、ソゥル特別市竜山臣青波洞一街七一(現在)に教会移す。(此の間二回教会移転)
11 一九五五年一〇月一四日、文鮮明証拠不充分にて釈放(世間体と信者と言ぅことで進んで証言しなかったためか)
12 一九五七年七月二七日、文鮮明教会を主導現在に至る。
13 一九六三年五月三一日社会団体一して登録する。
一九六四年一月現在で韓国での教会数八九一、信者三二四九一人である。(以上)
尚、文鮮明は現夫人との結婚の年をもって「天紀元年」と制定した。世界に共通しているィエス · キリストの紀元を廃していることはキリスト教ではなく、キリスト教的異端の一種であることは明らかであり、思い上りも甚だしいことと言わねばならない。
四 混淫事件―このメシヤの恥部
怪奇な「血分け」と「霊体交換」
混淫事件とは、何のことなのであろうか。前項文鮮明教祖の経歴中にもあるょうに文鮮明、朴泰善らが姦通罪で逮捕されたことや拘禁された一連の事件を韓国ではこういっている。この事件は、汚ならしい奇怪な事件であって、まさに原理研究会の恥部である。
韓国のキリスト教界で、異端と言われるものの中に「混淫派」とか「霊体派」とか呼ばれる新興宗教の集団がある。即ち文鮮明、朴泰善、丁徳恩、金百文、及び罹雲夢等の教団教派がそれである。その集団の首領が文鮮明であるといわれる。この教派は布教において「血分け」とか「霊体交換」とかいう性的な儀式を行うので、こうょばれるのであるが、その性的儀式なるものは、どんな意義を有するものなのであろうか。
もろろん、それは彼らの教義に遡ってみなければならない。文鮮明教団の統一原理をみてみよう。それに依れば、人類が原罪を負うに至った原因は、太初、人類の始祖であるアダムとェバの堕落にあるという。旧約聖書の創世記にはェバが蛇にそそのかされて「禁断の木の実」を食べてしまう物語りがある。統一原理の解釈によれば(この聖書の秘密を解くのに、文鮮明は十何年間の心血をそそいだという)蛇というのは天使ルーシェルでありこれがサタンである。禁断の木の実を食べたということは、実は性交を意味するものである。神は人間界を創造される前に天使を創造されたが、神の創造目的は人間にあったので、神は天使よりもアダムとェバを愛された。そこで天使長ルーシヱルは愛の減少感を覚え、ェバを誘惑し性交をなし遂げる。サタンとはこの堕落したルーシェルであり、サタンとェバの性交によって、人類はサタンの血を受けついでしまったのである。これが人類が原罪を負うに至った根本原因であると説くのである。金百文の聖神神学もこれと同じような教義である。ここでわれわれ人類の血の中に流れているこのサタンの血を清めて、天国に行くのにはどうしたらよいかという問題に突き当るのである。その具体的な解決方法が、即ち「血分け」とか「霊体交換」とか言われる性的な儀式なのである。
即ち「われわれ人間の肉体創造がされてからというもの、けがれた悪魔の血でみなぎるようになったから、これを取り去って清潔な血と入れ替えなければならないが、その方法としては、神様の命を受けた人、たとえば文鮮明、金百文、丁得恩、朴泰善と性交することだというのである」(原理運動の秘事九七頁)もちろん、この混淫の教えは誰にでも公開するのではなく、彼らを真心から慕ってついてくる熱烈なる信徒の中から相手を選んで、適当な時期を見計らって極秘のうちに教えるのだという。
混淫派の教団のうち朴泰善一派の教団は、霊体交換が明るみに出され、世間の批難をうけて影がうすくなる。文鮮明の統一教会事件は混淫事件の証人が続出している現時点で起るか、丁得恩女史の証言さえあったら。文鮮明集団も手も足も出ないほどたたかれたはずであり朴泰善同様没落の運命をたどったことだろうといわれている。
混淫罪で文鮮明投獄さる
一九四九年五月、北朝鮮の警察は文鮮明を混淫罪のかどで逮捕した。当時、文鮮明は本妻がいたのだが、神の啓示を受けたと称し、女性信者金某女史と「強制的な婚姻式ごと」(即ち霊体交換である)をやっていたところを警察に踏みこまれて逮捕されたのである。これはその金某女史の夫が警察に告発したためであった。その結果、社会秩序侵害罪(姦通罪)で金某女史は懲役一〇ヶ月、文鮮明は五年一〇ヶ月の実刑を言渡され興南刑務所に投獄されたのである。
しかし、一九五〇年六月二五日、朝鮮戦争起り、一九五二年九月六日国連軍北上し、興南刑務所を開放するに及び、彼は刑期を終える前に釈放されたのであった。文鮮明はそこで、金元弼、朴鐘革をつれて韓国に越境し釜山に行ったのである。そしてその後ソゥルに現在の統一協会を設立したのである。
しかし、再び文鮮明は、一九五五年七月四日、他の幹部四名と共に治安当局ょり逮捕された。そのときの模様は次のょうであった。「……その人間が救われるためには、この悪い血を清めなければならない。つまり聖霊を受けた人の血をもらうことが、血を清める唯一の方法で、聖血をもらった人は、さらに三人の異性に、その聖血を分ける義務がある。聖血を分ける方法は、要すに肉体関係を結ぶことだ。こうしたことから信者はネズミ算式にふえた。ところが、ここで一つの事件が起こった。韓国の女子名門校梨花女子大の学生十数人が退学させられた。むろん聖血の一件につながっていたからである。これがきっかけで、教会は”混淫の宗教だ”というゥヮサが広まり、治安当局も捜査に乗り出した。その結果、教祖の文鮮明ら幹部五人がつかまったが、ことがことだけにキメ手になる証拠はつかめなかった」のであるという。
一九五五年一〇月一四日、結局証拠不十分で釈放される。
この事件は、文鮮明が「メシヤ」にしては、余りにも汚らはしい呪われるべき事件であった。
複雑微妙な混淫系譜
朝鮮半島は古来、奇怪な新興宗教が発生するので知られている。この混淫派とか霊休交換派とょばれるキリスト教系の新興宗教も、まさに奇怪極まるものである。しかし、興味あることはこれ等の宗教は現代二十世紀の韓国に現われたものであるが、西洋では既に古い時代、西歴一世紀前後と二世紀にこれに類似した集団が存在していたということである。紀元前七〇年からあった「ニコラ」堂とか西紀一五六年ごろの「モンタヌス」派などがそれであると言われ、その教義も不思義にも、朴泰善、文鮮明、丁得恩、金百文などと共通しているということである。
この混淫派の韓国内における生成過程とその行動とを観察してみょう。この混淫派の発生地は北朝鮮の平壤地方である。
一九二三年の項、キリスト教の牧師であった李竜道(音訳)と黄国栓とは、殆んど同じ時期に新しい聖霊を授けられたと触れ回って、多くの信者を集めたことからはじまる。彼ら両名は異常な能力の持主であった。彼らもまたメシャ病患者であり、自分を審判者と称し飛躍的な言辞を弄した。そして〈血分け〉の教理を確立したのである。
この混淫派の教理は前にも記した金百文が著した聖神神学によると「太初のアダムの堕落内容とは、イプとの夫婦間の性交問題をさしおいて、イブが蛇のような他の男と姦通し、神の前で罪を犯したことである。つまり、神様が清潔なものにつくられたアダムとイプの中に、蛇のようないまわしい罪悪の血が混るようになったから、不清潔な血を洗い流すために聖霊を受けた人の新しい血を宗教意識のこもった性交によって受入れなければならない」というものであり、これが亦混淫派の綱領となっているのである。
この〈血分け〉という奇怪なる説は、当時の宗教界から徹底的に排撃された。現実教会の世界から追出された李、黄は、男女の信者を連れて平壌の郊外や各地の村落をうろつき回っていたが、遂にはちりぢりばらばらになってしまった。その後一〇年や二〇年を経過する間に、統治国日本の宗教弾圧と警察の捜査綱がきびしかったため、彼らは公然と布教することを取り止め、地下にもぐってしまったのである。
しかし、八 · 一五解放後になると、いち早く彼らは平壌市内に家を構えて集会を開きはじめた。彼らは広海教会という看板を掲げ昼夜となく集っては、手を叩きながら讃美歌を歌うのであった。
このころ、李、黄の両人は分裂し引退し、ここにこの集団に一人の青年が登場する。つまりそれが文鮮明である。
文鮮明は、当時、国内で一流に属する富豪朴某氏の姑と、いわゆる〈血分け〉を行ったことにょって、混淫派の上座につくょうになったのである。ここで一九四九年五月、文鮮明は北朝鮮の警察に混淫罪のかどで逮捕されるのであるが、その経緯については既に述べたとおりである。
韓国に於いて混淫問題で最も騒がれた教団は、朴泰善一派の伝道館である。これがため彼は失脚したのである。文鮮明の混淫系譜を記した文献を求めることは、容容なことではない。しかしこの朴泰善に関するものは明らかにされているので、それを記して混淫なるものの内容を述べることとする。
一九四九年三月からはじまった朴泰善一派の混淫は、一九四七年五月に単身で北朝鮮の平壌から越境した文鮮明の一番弟子、丁得恩の布教で進められた。当時、丁はソゥルの三角山に住居を定め、青年男女に混淫の教理を説いた。丁は朴泰善から熱烈なる支持をうけ、水色にある朴泰善の家を混淫を行う場所にした。
丁ははじめ三人の男(金漢=高大卒。方好同=除隊軍人三七才。李守完=六 · 二五動乱中死亡)に一週の間に自分の尊い血を分けてやった。この尊い血は、文鮮明から授かったものである。丁がどうしてこの三人の男を選んだかということには深い説明は必要としないのである。丁が冥想しているうちに、神がだれだれとせよと啓示したからやったまでであるという。丁から霊体を授かった三人の男のうち、方好同だけはどの女性とも霊体交換をしていないが、李と金とはつぎの日から霊体布教をはじめる。李は元慶淑(当時二六歳)という女性と交換した。これも神からお告げがあったという口実のもとになされたのである。元は更に朴泰善と交換する。これも朴が元と交換してもよいと神のゆるしを得たからである。彼らは丁女史が立ち会って祈りを捧げているところで〈血分け〉を行った。
ところがこの血分けには面白いことがある。それは「男が女に伝えるときは女が下になり、女が男に伝えるときには女が上になる」ということである。
元から血分けを受けた朴泰善は「この尊い教理を家の者から!」ということでその姑と兄嫁に伝えた。一方朴泰善の妻は李守完から受け朴永昌という男に伝える、朴永昌の話によると朴の妻との血分けは、はじめうまくいかなかったので二回行ったそうである。
丁女史から尊い血をうけたもう一人の男、金漢は閔恩順という女性信者に伝えた。閔は李泰充という現職の牧師と血分けを行った。李泰充は張愛三という女性と関係するのだが、混淫問題はここから世の明るみ出て、社会問題となったのである。二度目の血分けが終るころ、張の夫である白英基牧師が現場に現われこれを目撃してしまったのである。白氏は朴泰善を名誉毀損罪で告発する。また妻の張愛三も混淫事件の真相を世間に公開したからであった。
以上の記述により混淫系図を作れば前頁のようになる。
102
男性
女性
✩ 教派首領
✩ 黄国栓
✩ 李竜道
(大正12年)1923年のころ
(10 余人不明)
朴某姑 / 朴乙魯
✩ 文鮮明
金女史
丁得恩
李守元
方好同 / 方好童
金漢
元慶淑
妻 朴泰善
✩ 朴泰善
元女史
姑
兄嫁
某
生某大学
朴永昌
閔恩順
李泰充
張愛三
白南柱氏(右端)と李韻道牧師(右から2人目)、1930年ごろの平壌にて
(左から)朴承傑、李浩彬、劉明花
韓国に於ける混淫派の教団
韓国に於ける霊体交換(血分け)を教理化した混淫派とよばれる教団は次のものである。
1 文鮮明の統一神霊協会。
この混淫派の主領と言えるものが文鮮明であるという。
2 丁徳恩の三角山祈禱団。
一九四七年五月、霊体交換布教により文鮮明の血を受けた丁徳恩は、平壌より京城に行き三角山を根城に混淫布教を行ったという。
3 朴泰善の朴長老教団(伝道館)
一九四九年三月、霊体交換により丁徳恩の血をうけた朴泰善は伝道館を設立し布教始む
4 金百文のィスラィル修道派
文鮮明は青年時代金百文の教えを受け、文鮮明の創始したという統一原理は、金百文著「基督教根本原理」にそっくりと言われている。
韓国で問題になった混淫事件公開状
混淫事件の参考として、ここに前出の張愛三女史の公開状を転載する。この公開状は混淫事件に巻き込まれた張愛三女史が、自身の恥しさをもいとわず提出された問題の投書でありこの投書によって混淫事実が明らかになったのである。
〝公開状〟
一九五七年の新春を迎えはしたものの、いまだに悪戦苦闘を続けながら生活の道を求めている韓国国民に一日も早く光明ある日がおとずれますよう、心からこい願うところです。
歴史はじまって以来、国家の興亡盛衰がその時代の宗教によって左右されてきたことは私たちが史実から周知のとおりです。
しかしながら、二千年にわたるキリスト教史上、その前例のない奇異なことが韓国で広まっていることを私自身が目撃したし、多方面にわたってその善後策を講じようと努力を重ね、当人たちに対して数回にわたってそのあやまちを正す機会を与えたが、当人たちは全然悔い改める気脈を示さないばかりか、かえって私たちを気違い扱いしているので、これ以上寛大な態度をとる必
148-155
〝修練会でナゾの変死〟事件
本書の第一章で書いた「修練会での変死事件」その後の様子は、週刊朝日で報道された。この記事によって、統一協会の修練会の内容をうかがい知ることが出来るので、読者の参考として掲載する。
「原理研究会といえば、入会した学生の親たちが三年前、『わが子を返せ』と父母の会まで結成した。過激派”の宗教団体―。『世界統一協会』を推進母体に、理想社会建設のためにあらゆる宗教、哲学、科学の統一を唱えているが、その合宿で、ナソの変死事件が起きた。死んだのは関西大学法学部一年の山田竜雄君(一八)。山田君は七月一〇日から弁天宗大阪本部(大阪府茨木市)の宿泊施設『生命の貯蓄クラブ』で行なわれていた原理研究会の特別修練に参加していた。そして十五日、近くの病院に死体となって運び込まれたのだ。その死体は全身傷だらけだった。右大腿部は大きく黒ずんでいた。背中には刺したようなあともあった。顔にまで傷があった。遺体解剖の結果、胃の中はからっぽで、死亡の三日前から何も食べていないことがわかった。直接の死因は全身衰弱だが、全身打撲が死を早めた、と断定された。
茨木署では合宿の責任者、田口民也伝道師(二三)らを呼んで事情聴取をした。
調べに対して田口伝道師らは「不審な点は何もない」と終始主張し、山田君の死に至る経過をこう語っている。
合宿が始まって五日目の十日ごろから講義中に奇声を出すなど、様子がおかしくなり、十二日夜からは覚えていた空手で暴れはじめた。そこで班長五人が手足をしぼりつけて、大広間に入れて監祝をつづけた。ところが十三日夕方、窓ガラスを破って二階から飛降りた。このとき、とめようとした班長もいっしょに落ちて、顔に七針の裂傷を負ったが、山田君は手足に軽いケガをしただけ。さらに翌日、こんどは廊下側の窓ガラスを破って廊下にころげ落ち、手足にケガをした。十五日午前四時ごろ寝ていた山田君の体が冷たくなっているのに気づき、湯であたためたあと、午前六時半ごろ近くの病院に運び込んだが、すでに死亡していたーというのだ。
それにしても、不審な点が多すぎる。二階から転落したとき、いっし。に落ちた班長は病院に運ばれた。しかし山田君はまた〝監禁〟状態にもどされている。警察もこの点を追及した。ところが田口伝道師らは、『合宿の途中で霊力が高まってきて、一時的に錯乱状態になる例が多い。しかし、その力べを越えてこそ、人間が生れ変るのだから、外に出すわけにはいかなかった』と平然と言ってのけたという。また胃の中がからっぽだったのはな
ぜか。『食べさせようとしたが、いらないといった』と答えている。
山田君の父親・太一郎さんは、霊前で言葉少なに語った。『二階から落ちたときに、なぜ病院に運び、家族に知らせなかったのか。あまりに非常識すぎる』
家族や大学の友人の話によると、山田君は明朗で健康な青年だった。大学では法律学研究会に所属し、弁護士を志望していた。原理研究会との出合いも奇妙なキッカケで始った。六月末、大学で開かれていた原理研の講演会で参加者名簿に住所と氏名を書いたところ、会員が豊中市の山田君の自宅までオルグに来た。そして誘われるままに合宿に参加した。
山田君は、小型のテープレコーダーとテープ十本とを持って行った。十本のテープのうち、五本だけ合宿所で見つかった。いずれも合宿での講義が録音されているが、そのうちの一本の冒頭に、山田君が講師と議論している部分かおる。『戦場での兵士の行動は、人間としての罪をまぬがれるのか』という山田君の質問に対して、講師の答えがつづく。要領を得ない。山田君の声はかなり興奮している。が、議論の応酬が二、三分続いたところで、録音はプツソと途切れている。死を呼んだ監禁の直前の状況証拠として、のこされたこの記録は暗示的だ。
茨木署では、田口伝道師ら六人を、保護責任者遺棄罪および同致死罪で書類送検をする方針、という。一方、原理研究会側は合宿所の入口を閉したまま報道陣をシャットアウト。〝荒修行〟の真相については語ろうともしない」(週刊朝日、一九七〇、七、三〇号)
同年八月十六日の読売新聞の報道では十二日山田君の精神状態がおかしくなったので、田口ら七人が山田君をクラブ二階の部屋に連れ込み、両手足をタオルで縛り、入口に見張りを立て交代で腰などを手でなぐった。たまりかねた山田君は午後三時ごろスキをみて二階の窓から飛び下りたという。
集団洗脳のおそろしさ―人格の崩壊
以上の各氏の手記や報道記事を読まれた読者は、原理研究会の修練会が何ものであるかを知られたことであろう。戦慄すべき洗脳機関であり、恐るべき集団催眠教育である。
催眠術では、被験者を催眠状態に導入するのにいろいろの方法があるが、すべてに共通している原則は、注意を一ヶ所に集中させることである。注意が一ヶ所に集中されると、他の観念が抑圧されて、精神統一の状態になり、思考作用が休止して催眠状態に入るのである。この状態の時は暗示にかかり易くなる。それを更に深く誘導して行けば、「被暗示性の亢進」がみられ、ますます暗示にかかりやすくなるのである。その誘導が「繰り返しの法則」である。さらに宗教的興奮は催眠状態を深くさせる作用があるのも見落してはならない。
受講者は朝から次から次へと、息つくひまもなく講義を詰込まれ、質問してはいけない。講義ははげしく降る雨のようにそそがれ、講義に受講者の注意は集中される。質問はいけない、質問は講師が出し講師が解答する。受講者は思考する間もなくその必要もない、思考作用は停止する。講義の間には聖歌が繰返し繰返し歌われる。異様.な宗教的雰囲気を醸し出してゆく。さらにその間、何回となくお祈りが行われる。祈りもまた、宗教的興奮をたかめてゆき、ますます催眠状態を深めてゆくのである。特にこうした修練会という集団のときには、ますます被暗示性は亢進してゆくことも考えねばならぬ。
こうした思考停止となり被暗示性が亢まつているときに、「キリストの再臨が現われた」とか「エバとサタンが性交した」とか「共産主義はサタンである」とか「一九七〇年はサタンとのー戦」等々が吹き込まれるのだからたまらない。それが特修というと、十四日から四〇日も続くのだからたまらない。気が変になるのも当然である。
遂には、恐るべき「人格変換」にまで至り人格の崩壊となるのである。人格の変換は催眠状態の非常に深いところで起るものである。「神がかり」とか「憑依状態」とょばれるものが人格変換の現象である。
この人格変換、人格崩壊の現象は第一章に載せた母親の手記にもはっきり現われている。
「……修練会から戻ってからの様子がまるで変ってしまっているのに家族一同驚きの外はありませんでした。原理の説明をするから皆聞けとばかり、遠遠何時間も話し続け、何とも解釈つかない理論を並べたてましたね……そうこうするうちに、お前は学業半ばにして家をとび出してしまいました。」
修練会でガラリと人間が変ってしまっているのである。また原理研究会信者が、やられてしまっていることは、室氏の手記でも明らかである。
「原理に熱心な人ほど不気味な眼をしている。眼球は動かないし、第一あまりまばたきをしないのだ」
「班長は、なによりも眼が光っている。そして眼球は一点を見つめて動かない。」
われわれは精神病院に行くと、患者の眼は虚空の一点を見つめて動かないのを見るのである。まさにこの状態である。戦慄を感ずるとともに、大きな憤りも感ぜざるを得ないのである。
何の目的のために?
統一協会は、何の目的のために、純真な青年を集めてこのような洗脳という集団催眠教育を行うのか。この点について、ある学生信者の母親は次のように抗義している。
「……母さんは貴方の信仰をおさえたり、親もとから離れて独立していく事についてとやかくいうのではありません。統一協会の姿が浮彫りされてくるに従って、協会の目的のため洗脳され利用されている事に不安を感じているのです。野村健二東洋大学心理学講師(注、現在は東洋大学をやめて、日本工業大学に奉職中)を中心として、周藤阪大医学部薬学科卒の協会の幹部達が、メシヤ病文鮮明の教理を、実に巧妙にまたすれすれの方法で、親子の愛情の心理状況を克明に研究しつくし、謀略にかけているのです。貴方ばかりではありません、若い学生が巧みな言葉のあやにかかっているのです。生神様文鮮明に忠節を誓い、死すとも可なりといいきって、原理のみが世界中で最も正しい世直しの方法ときめて、我々の社会のすべてが堕落しているときめつけて、真の理想社会と平和国家建設は、我々しか出来ないなどという洗脳された飛躍した考え方に生きがいを見出しているのです。仕組まれた魔手に、まんまと引っ掛っているのにも気ずいていない貴方達を危険だと思うからなのです。朱に交れば赤くなる。母さんは貴方の将来の為に現在の貴重な青春の時を利用されおどらされている事を心痛しているのです。取り組む相手が悪いのです。大局を見、批判もすることなく、無条件で文鮮明の為に命を捧げることが一体何の為なのでしょうか。目的を遂行する為の尖兵として、ある目的の為に挺身させられるのではないでしょうか。」(大林由紀氏、新評、昭和四二・一二号)
しかし或る「目的のために挺身させられるのでは……」という危懼は、いま、現実として現われている。洗脳教育の目的は「サタン共産主義を撲滅する勝共の戦士」をつくり、「文鮮明を中心とする神の国を建設する勇士」をつくり出すことである。それは既に一部少数の者の利用するところとなっており、戦慄すべき事態と言わねばならない。