帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

朴 裕河  (著)

内容紹介

性奴隷か売春婦か、強制連行か自発的か、異なるイメージで真っ向から対立する慰安婦問題は、解決の糸口が見えないままだ。
大日本帝国植民地の女性として帝国軍人を慰安し続けた高齢の元朝鮮人慰安婦たちのために、日韓はいまどうすべきか。
元慰安婦たちの証言を丹念に拾い、慰安婦問題で対立する両者の主張の矛盾を突くいっぽう、「帝国」下の女性という普遍的な論点を指摘する。
2013年夏に出版された韓国版はメディアや関連団体への厳しい提言が話題になった。
本書は著者(『和解のために』で大佛次郎論壇賞受賞)が日本語で書き下ろした渾身の日本版。

内容(データベースより)

性奴隷vs.売春婦、もはやこの議論は無意味か。対立する「記憶」の矛盾を突き、「帝国」と植民地の視点で見直す。「慰安婦問題」解決のため、“第三の道”を提案する、大佛論壇賞受賞者による渾身の日本版。

単行本: 336頁
朝日新聞出版(2014年7月)
ISBN: 978-4022511737


慰安婦:「朝鮮人責任論」のワナ パク・ユハ著『帝国の慰安婦』

筆者には、植民地時代の文化現象に関する単独著書が5冊あり、韓国近代の専門家を自認してきた。 しかし恥ずかしながら、出版から1年近くになる『帝国の慰安婦』という本の存在を知らなかった。 本書を読んだのは、著者のパク・ユハ教授が「元慰安婦の名誉を傷つけた」として告訴され、公憤の 対象になった最近のことだ。

資料の解釈は洗練されておらず、論理的飛躍と批判すべき部分は少なくない。それでいて、本書に記された事実そのものは全く目新しくなく、むしろ失望させられた。 慰安婦は日本軍が「直接」強制連行したのではなかった。日本軍は業者に慰安所の設置と運営を委託したが、そうした業者の多くは朝鮮人だった。朝鮮人慰安婦は、これらの業者によって人身売買されたり、連れ去られたりするケースがほとんどだった。アジア・太平洋全域を舞台に戦争をしていた300万人規模の日本軍が、最も後方に位置する朝鮮で、のんきに女性の強制連行をしていたりはし ないだろう。

パク・ユハ教授は「戦争を起こした日本政府と違法な募集を黙認した日本軍に1次的責任を負わせる べき」という点を認めながら、法的責任を問うべき人物がいるとするなら、それは日本政府ではなく、詐欺・強制売春などの犯罪を行った業者の方だと主張している。請負業者に法的責任があるのに、それをそそのかした当事者には法的責任がない、という論理は受け入れ難い。 しかし、慰安婦問題では朝鮮人も責任を避けられない、という指摘は認めざるを得ない。

娘や妹を安値で売り渡した父や兄、貧しく純真な女性をだまして遠い異国の戦線に連れていった業者、業者の違法行為をそそのかした里長・面長・郡守、そして何よりも、無気力で無能な男性の責任は、いつか必ず問われるべきだ。それでこそ、同じ不幸の繰り返しを防げる。しかし今は、問題を提起すべき時期ではないだろう。納得できる謝罪と賠償を1次的責任を負う日本が拒否している状況で、韓国側が先に反省したら、日本に責任回避の名目を与えかねないからだ。

本書を細かく読んでみると、韓日間の和解に向けたパク・ユハ教授の本心に疑う余地はない。 元慰安婦を見下したり、冒涜(ぼうとく)したりする意図がなかったことも明白だ。

しかし、韓日共同責任論の提起を、慰安婦問題をめぐる両国間の対立を解決する賢明な代案とする には、1次的責任を負うべき日本についての歴史認識があまりにもずれている。

全峰寛(チョン・ボングァン)KAIST人文社会学科教授


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書評
朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』
プリワイパリ社 2013年 327頁 / 朝日新聞出版 2014年 336頁

東亜日報記者
早稲田大学 アジア太平洋研究科 博士課程満期退学
盧 志炫

https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=21637&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1

1. はじめに―「20年公的記憶」への挑戦としての本書の意義―

2. 増えていく登場人物、薄れていく加害性

3. アジア女性基金についての再評価

4. 終わりに:解決方法についての根本的な問い

参考文献


慰安婦批判に潜む韓国の「意図」 ヴァンダービルト大学名誉教授 ジェームス・E・アワー

2014.10.22

中国が日本を批判するのは、ある意味で当然といえる。中国政府は、自国民の民主的権利を否定する一方で、中華人民共和国の歴史全体よりも長期にわたり民主国家として成功している日本におびえているとみられる、中国共産党の専制支配下にあるからだ。
しかし韓国は、日本に続き民主国家として成長し、その経済・教育制度は日本統治時代を手本にして発展してきたのに、なぜ1990年代に入って日本を非難するようになったのだろう。それも、日本が今後、韓国の自由や独立への脅威となるからという理由でなく、優に半世紀以上も前の行為に対し、日本が行ったはずの謝罪と償いが不十分だとの理由でだ。
≪慰安所は処罰対象とならず≫
日本は30年代から45年まで中国の日本軍に慰安所が提供されたことや、そこで働いていた女性のなかに朝鮮人がいたことを否定していない。日本は、政府として慰安所を管理した記録は存在しないと度々述べているものの、日本の首脳級の人たちはこれまであらゆる機会に、いかなる形の強制にせよ、行われたと想定される場合には謝罪し、朝鮮の女性が経験した虐待や苦痛に関して、謝ってきた。

人体実験(731部隊)を含む医学的研究を計画し、それに関与した日本の当局者たちは、米国が研究資料を欲したために、連合国軍の占領期間中に告発や起訴されることはなかった。これに対し、慰安所の制度が処罰の対象とならなかったのは、朝鮮や日本の女性の多くは、自ら進んで慰安婦になるか、困窮する親に売られたのであって、拉致されたり、本人の意思に反して強制されたりしたのではないことが、彼女らへの聞き取り調査で結論づけられたからだ。
多くの日本人は今日に至るまで、慰安婦は比較的高給をもらい、総じて待遇も良く、中には日本兵と結婚する者もいたと信じている。他方、多くの韓国人は現在、慰安婦への強制行為や虐待が横行していたと信じ込んでいる。
≪日本の隠蔽工作とみる韓国≫
ここで、確認しておくべきとみられる幾つかの事実を挙げたい。
(1)昔も今も売春婦の中には、奴隷とまでいえずとも不本意な労働をさせられている人はいる。が、売春は肉体的束縛という意味では必ずしも「奴隷」ではない。
(2)30年代の日本の慰安婦制度は、日本政府の目には違法ではなかったし、日本政府の民間人や軍当局者を起訴し、戦犯として処刑またはそれより軽い刑で処罰した占領当局の誰もが、それを起訴に値する問題だとは考えなかった。
(3)韓国政府が70年代、自国経済を救済する目的で韓国駐留米兵のために売春制度を組織したことは、戦後生まれの韓国人の多くが知っているが、彼らは日本が30年代に朝鮮人女性を違法に誘拐、抑圧、虐待したりはしなかった、とは考える気がないようだ。
(4)日本が強制行為への当局の関与をいくら否定しようとしても、韓国人の多くや日本人ではない一部の人々には、日本政府の隠蔽(いんぺい)工作と受け取られる。
(5)朝日新聞が今年8月、同紙が長年報じてきた、済州島の朝鮮人女性が日本に強制連行されたとする一連の衝撃的な記事は誤報だったと認めた。韓国などにいる日本を批判する人々は、これに関し、これらの記事が原因で韓国人が日本に怒りを向けるようになったのではないとしつつ、朝日新聞が日本の強制行為を繰り返し強調したことで、その信憑(しんぴょう)性が一層増したことは否定し難い、としている。
≪法の順守を批判される日本≫
今日、日本や韓国、その他多くの国々で売春は違法とされる。だが、「世界最古の職業」としばしば呼ばれる売春は、ほとんどの場合は無理強いというよりも、人間の性(さが)により、いまだに存在する。
また、日本人は過度に順法主義だと類型化されるのに対し、日本を批判する人々は、日本は民主的な意思決定と法の支配の面で弱点を抱えると主張する。30~40年代の慰安婦問題、70~80年代の「不公正」な取引慣行、そして現在の捕鯨やイルカ漁は、日本の特質を表す証拠に挙げられる。
公平を期すれば、国内法や国際法を順守しようとする日本の努力は、こうした法律を称揚しつつも日本ほど熱心に順守するわけではない諸外国から、何の法的根拠もなく批判されることがあるという事実は認識されるべきだ。
戦時中にどのような強制行為や虐待があったとしても、それに対して日本が謝罪するときに誠実さを表す最大の根拠となるのは、敗戦後六十数年間にわたる日本の良き振る舞いだ。98年、金大中(キム・デジュン)大統領は小渕恵三首相と発表した共同宣言で日本の謝罪を受け入れた。
だが、金氏の後任の大統領たちは、いかなる理由からか、小渕氏と金氏の合意をほごにする代わりに、45年以降の日本の行いを無視し、物議の的となっている歴史を強調することに決めた。国内政治が動機となっていると推察するのは難しくないが、日本の成功への嫉妬と、日本が順法国家であろうとする努力に対し、故意に知らないふりをしているか、本当に無知だという事情もあるのだろう。

http://www.sankei.com/column/news/141022/clm1410220001-n1.html


軍慰安所従業婦等募集に関する件
以下は分かり易く現代語訳
件名 『軍の慰安所従業婦等募集について』 副官より、中国北部方面軍、及び、中国中部派遣軍 参謀長宛の通牒案 日中戦争における慰安所設置の為、募集業者が慰安婦を募集する際、“日本軍の 名義・権威を利用し、その結果 日本軍の威信を傷つけ、庶民の誤解を招く事例” や“従軍記者、慰問者などを通じて、不統制に募集し、社会問題を惹起する事 例”や“慰安婦を募集する業者が相応しくない場合、誘拐に類した方法を使い、 警察の検挙・取調べを受ける事例”など注意を要する事例が少なくない。 将来、慰安婦の募集に関しては、派遣軍がこれを統制し、慰安婦募集業者の選 定を周到・適切に行い、慰安婦募集に際しては、関係地方の憲兵、警察当局と 協力すること。 日本軍の威信保持、また社会問題上、遺漏のないよう十分配慮することを依命、 通牒する。
1938年3月4日


慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
毎日新聞 2013年08月07日 07時00分(最終更新 08月07日 15時56分)


昭南博物館のスタンプが押された日記

【ソウル澤田克己、大貫智子】第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。
朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。
日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。
男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。
男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。
安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。

https://web.archive.org/web/20130810080744/http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c.html


『毎日新報』 1944年10月27日付
『軍』慰安婦急募
一、行き先   〇〇部隊慰安所
一、年齢十八歳以上三〇歳以内身体強健女性
一、募集日  十月二十七日  十一月八日
一、開催日   十一月十日頃
一、待遇 本人面談
一、募集人員  数十名
一、希望者
京城         町一九五
朝鮮旅館内
光 二六四五
(許氏)

『毎日新報』(1944年10月27日付) 「『軍』慰安婦急募」 行先〇〇部隊慰安所 応募資格 年齢18歳以上30歳以内身体強健な者 募集期日 10月27日より11月8日まで 出発日 11月10日頃 契約及待遇 本人面談した後即時決定する 募集人員 数十名 希望者 左記場所に至急問議する事 京城府鍾路区楽園町195 朝鮮旅館内 光③2645(許氏)

『매일 신보』 (1944년10월27일자) 「군위안부 급모집」 행선지 00부대위안소 응모 자격연령 18세이상 30세이내 신체강건여성모집 기일 10월27일보다 11월8일 계약及대우 본인면접후 즉시 결정 모집인원 몇십명희망자좌기장소에 시급하게 문議교토성부 종로구(鍾路區) 0소노초(園町) 195조선 여관내 빛 02645(아래씨)


『京城日報』 경성일보  1944年7月26日付
慰安婦(急至)大募集
年齢 一七歳以上?二三歳迄        年齢 17歳以上23歳まで
勤先 後方〇〇隊慰安部             勤め先 後方〇〇隊慰安部
月収 三〇〇円以上(前借三〇〇〇円迄可)    月収 300円以上(前借3000円まで可)
月収 三〇〇圓以上(前借三〇〇〇圓迄可)
午前八時より午後十時まで本人来談
京城府???二〇
今井紹介所

『교토성일보』 (1944년7월26일자)
「위안부 시급하게 모집」연령 17세이상 23세까지
근무처후방 00대 위안부
월수 300엔이상 (전차 3000엔까지 가능)


https://www.nippon.com/ja/simpleview/?post_id=27546

シリーズ: Japan Data
嘘——朝日新聞「従軍慰安婦」報道の軌跡
社会
政治·外交

朝日新聞は2014年8月5日、これまでの「従軍慰安婦」関連報道の検証を公表。32年前の吉田清治証言をはじめ、多くの事実関係の誤りを認めた。しかし、そこで浮き彫りになったのは、「従軍慰安婦」の実態ではなく、日本と韓国という特殊な戦後を歩んだ両国の相関する歪んだ言論空間だった。

朝日新聞の検証にもかかわらず変わらぬ事実
最初に確認しておかなければならないことがある。昭和の戦争において、アジア全域で日本と日本軍が関与した「従軍慰安婦」は現実に存在したということである。しかも、戦地においては軍の暴力を背景にして現地の女性を強制的に慰安婦にした例が複数あったことは、まぎれもない事実なのである。この点、ほかの戦争において軍隊が占領地で行った暴行と何も変りはない。
ただそれは、あくまで「戦地」においてである。「従軍慰安婦」システム自体は、当時、日本で公認されていた管理売春組織を日本軍の占領地にもっていってだけのものである。(ちなみに日本の管理売春制度は1958年に完全廃止される)。「従軍慰安婦」の大半は日本本土の日本女性、さらに当時日本領であった朝鮮、台湾の女性であった。管理売春制度とは公認された“人身売買制度”に他ならず、当事者の人権を著しく踏みにじるものであったことに何の疑いもない。しかし、この人権侵害は「戦地での強制」という戦争犯罪とは別物である。
近年、「従軍慰安婦」問題で日本を激しく非難しているのは韓国であるが、その主張は戦争犯罪であったということに集約される。ただ残念なことに、日本は1894~95年に清国(当時の中国の王朝)と戦争して以来、朝鮮半島では戦争を行っていない。まして、朝鮮半島の国と戦争を行ったことは近代以降、一度もないのである。

▲ 故·吉田清治氏(写真提供·読売新聞/アフロ)

吉田清治が作り出したフィクション
ところが、韓国ではいまだに、そして日本でもある段階まで、この問題は「戦争犯罪」として扱われた。その根っこには一つの嘘がある。それが、吉田清治(1913~2000年)という人物の証言である。吉田氏は戦時中、日雇い労働者を管理する山口県労務報国会下関支部で動員部長であったと自称していた。80年代に2冊の著作を出し、その中で自らの体験として「済州島において戦時中、約200人の若い女性を狩り出した」と記述した。のちに問題が大きくなってから、報道関係者、歴史研究家、さらには韓国の研究者まで現地に赴き裏付け調査を行ったが、だれも、何の証拠も、証言も得ることはできなかった。
このままであれば、単なる「創作」ということで世間の注目を集めることもなく消えていくはずだった。しかし、1982年、この吉田証言を朝日新聞が記事として取り上げたことで事態は急変する。いうまでもなく、朝日新聞は戦前から日本で最も影響力のあるメディアである。その報道のおかげで、朝鮮半島における「慰安婦狩り」は事実として韓国で大きく扱われ、対日批判の中心的なイシューとなっていた。
この件がさらに混乱したのは、戦時に国民の勤労奉仕として集められた「女子挺身隊」と混同されたことにある。「女子挺身隊」は日本国内と領内であれば学校組織を中心にどこにでも存在した組織である。そのため「慰安婦組織」は広範に存在したかのような言説が飛び交う羽目になった。

朝日新聞「慰安婦問題」検証の要約
① 強制連行の有無
1982年9月2日の大阪社会面での吉田清治証言に基づく済州島での「慰安婦狩り」報道。および92年1月12日の社説での「『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され」と表現したことについて。

日本の植民地だった朝鮮や台湾では、売春組織の業者が『良い仕事がある』などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていない。一方、インネシアなどの日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されている。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことである。

②吉田清治による済州島で「慰安婦狩り」証言
吉田証言を大メディアとして初めて報道以来、16回にわたり掲載した件について。

済州島を再取材したが証言を裏付ける話は得られなかった。吉田清治の証言は虚偽と判断し、記事を取り消す。

③1992年報道と政治的意図
1992年1月11日の「慰安所 軍関与を示す資料」報道は宮澤訪韓を狙ったものと非難されていることについて。

その意図はなく、詳細を知った5日後の掲載。一方、政府は報道前から資料の存在の報告を受けていた。

④ 「女子挺身隊」と「慰安婦」の混同
1991~92年の記事で、朝鮮半島出身の慰安婦を「女子挺身隊」の名目で強制連行したものであると報道したことについて。

女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とは全く別もの。記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから誤用した。

⑤1991年8月11日の「元慰安婦 初の証言」の背景
韓国メディアより先に報道した。だが、執筆した記者は韓国の慰安婦裁判支援団体幹部の親戚で、何らかのバイアスがかかっていたのではないかという疑い。

記事取材のきっかけは当時のソウル支局長からの情報提供。意図的な事実の捻じ曲げはない。

流れを大きく変えた1992年1月報道
その頂点となったのが、1992年1月の宮澤喜一首相訪韓前後の報道である。前年、元慰安婦の女性が初めて名乗り出て、日本政府を訴えるに至った。この過程も、韓国メディアより先に朝日新聞が報道した。その騒動の中で、首相訪韓の直前、「慰安所」への慰安婦たちの移動に軍や公的機関が便宜を図る資料についての報道があり、宮澤首相は、韓国で謝罪を繰り返し、さらに翌年、河野洋平官房長官が慰安婦問題についての談話を発表することになった。(ただしこの談話は、従軍慰安婦の存在と慰安施設の運営への公的関与、戦地での強制などを認めたものの、韓国での強制には特定して触れていない)。メディア各社も本格的に朝日の報道に追従し始めた。
さすがに、政府まで動くとなると、一連の報道への検証が急速に進むことになった。その結果、吉田証言の事実無根、「挺身隊」と「慰安婦」の混同などが明確になり、1992年8月以降は、日本のメディア各社は吉田証言を前提とした報道を控えることになる。ただ控えただけで否定も修正も行わなかった。

日韓が入り込んだ袋小路
しかし、メディアがだんまりを決め込んでいる間に事態はさらに加速した。1996年には、国連人権委員会に吉田証言を証拠として採択したクワラスワミ報告書が提出される。さらに、アジア全域の元慰安婦への償いのために政府主導で設立した「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」の「償い」を受けた韓国の元慰安婦7人が国内で非難を受け、のちに政府からの生活支援を切られる羽目になる。「河野談話」の認識ではなく、韓国の「従軍慰安婦」も戦地での強制として扱わなければ受け入れないという態度が今もなお韓国を支配している。
この姿勢は、アメリカの韓国系住民を通じてアメリカ国内でキャンペーンされ、2007年の下院対日非難決議につながる。当時、第一次政権時の安倍晋三首相が「広義の強制はあったが、狭義の強制はなかった」、つまり韓国では人身売買による従軍慰安婦は存在したが、戦地での強制と同じレベルの強制はなかった、と釈明したが、アメリカの政府にも社会にも、「歴史修正主義者」のレッテルを張られる始末だった。日本政府としても、「河野談話」以上の対応、つまり吉田清治の「嘘」を事実として認定することはありえない。したがって日韓関係は展望の利かない袋小路に入り込んでしまった。

韓国の事情——「対日戦勝国」の認知を求めた李承晩
韓国では、「従軍慰安婦」問題への被害者意識が最初からあったとはいいがたい。本当に戦時中に犯罪性の高い行為があったのなら、BC級戦犯裁判で取り上げたオランダのように、終戦直後から問題が提起されていたであろう。現実には、「強制された従軍慰安婦」が取りざたされたのは1980年代に入ってからであり、それも日本側の証言や報道が先行する形であった。
しかし、いったん「強制された従軍慰安婦」という設定が提示されると、これが浸透するのは早かった。韓国にはその事実は存在しなかったものの、その設定を受け入れる理由が十分あったからだ。
いうまでもなく韓国は、第二次世界大戦の終結によって、旧日本領朝鮮が分断されて生まれた国家である。南北両国とも大日本帝国が消滅したおかげで成立したのであって、決して自力で独立を勝ち取ったわけではない。しかし、相互に排他的な存在で朝鮮戦争が発生した。その後、激しい国家アイデンティティのぶつかり合いを続けるのである。
この争いは正直にいって北の方に分があった。北朝鮮は、日韓合併後、旧満州吉林省延辺地区を中心とし、中国共産党の支援を受けた抗日パルチザン組織が中核になり、「独立運動の正統」を名乗っていた。一方、韓国は、戦前、中華民国国民党政府と行動を共にしていた大韓民国臨時政府をその前身としており、李承晩·初代大統領もその首班だった。臨時政府は日中戦争中、「光復軍」という軍事組織を作ったが実際には機能せず、抗日戦の実態はなかった。そして臨時政府も国際的な承認を受けることはなかったのである。その上、後ろ盾であった中国国民党政府は、北朝鮮の後ろ盾である共産党政権との内戦に敗れ、1949年に大陸から台湾に撤退してしまう。
しかし、韓国の李承晩政権は半島統一を巡る朝鮮戦争の中で、北朝鮮に対抗しうる「抗日の歴史」を主張し続けた。その結果、1951年9月に行われた連合国、国際社会と日本の講和会議であるサンフランシスコ平和会議への出席と署名を求めるのである。つまり国際社会に韓国を対日戦勝国として認めろ、と主張したのである。当然、連合国側によって峻絶されたが、韓国は李承晩ラインの主張など、その後も朴正煕政権成立まで、内外に「対日戦勝国」として振る舞い続ける。

無理があるドイツとの比較
この「李承晩のフィクション」という亡霊は、今に至るまで生きている。韓国の政治家、各種団体、メディアの対日批判を見ると、必ずと言っていいほどドイツとの比較が出てくる。特に竹島問題では、ドイツが1990年の再統一に際し、ポーランドと国境問題と難民の請求権放棄問題を最終決定した条約を持ち出し、日本もまたこれを見習えという主張が繰り返される。
しかし、韓国とポーランドを重ね合わせるには無理がある。ポーランドは、紛うことなき対独交戦国だからである。しかもナチスの犯罪被害、戦争犯罪被害の当事者なのである。繰り返しになるが、韓国は第二次世界大戦において日本の交戦国ではない。当時の朝鮮半島の住民が納得していたか否かに関係なく「日本」だったのである。だから、韓国には自らを対日交戦国に擬するだけの動機もしくは心理的な素地があった。「強制された従軍慰安婦」問題は、ヨーロッパのドイツやソ連の占領地と同じイメージを自らに付与する格好の材料だったのである。

日本の事情——生き延びた“戦争協力”の全国紙
一方、日本の一部にも韓国が第二次世界大戦の戦争被害者であるかのように擬そうという心理的傾向があった。その一部とはメディアであった。しかも、ここでもドイツとの対比がわかりやすい説明となる。
第二次世界大戦で連合国に降伏した日本とドイツは、降伏条件に従い、戦犯裁判によって責任者が裁かれ、旧体制が解体された。この際、ドイツはナチスとナチズムが、日本は軍と軍国主義が元凶とされ排除された。日本の軍の解体と関係者の排除は、ドイツより徹底したものだった。しかし、それは軍だけ。この間の事情の検証は本論の趣旨とは離れるので紙数の関係もあり触れないでおくが、結果だけ見れば、軍以外の指導層は財閥が解体された以外は、政治家も、官僚組織も、大学も、実質的にほとんど温存された。
特に目立ったのがメディアである。ドイツではナチス·プロパガンダ政策否定の過程で協力者が徹底して解体·追放された。新聞もまた「Stunde Null(零時)」を免れなかったのである。この点、日本はドイツと著しい差がある。
戦前からいまだに「3大新聞」と呼ばれる、朝日、毎日、読売の3紙は、1931年の満州事変以降、日本の中国大陸侵略時に軍部の代弁者であるかのように戦意高揚を行い、爆発的に部数を伸ばした。1945年当時、朝日、毎日は約350万部、後発の読売も約150万部に達し、いずれもこの段階で全国紙の地位を確立している。朝日新聞の緒方竹虎主筆や読売新聞の正力松太郎社長は、戦後、GHQによって戦犯容疑をかけられ公職追放となったが、ほどなくそれも解除された。メディアでは同盟通信が、時事通信、共同通信、電通の3社に解体された以外は、社名題字までもそのまま残ったのである。

歴史問題などで主導権を失った政府·政界
戦時中、総動員体制下の宣伝機関として築き上げた国民世論への影響力は、戦後、減ずるどころか、ますます強まった。政府など公的機関が記者クラブ制度などでメディアに情報を優先的に流し、囲い込みを行ったという事情もある。つまり戦後における総動員体制の継続である。
軍による統制がなくなったうえに影響力は増し、全国紙など大メディアの権勢は絶大なものとなった。一国内でどのくらいの存在であるかは、下のグラフを参照いただきたい。読売、朝日は日本のみならず世界の新聞部数の1位、2位である。中国、インドといった国は日本の約10倍の人口があり、日本語圏が、ほぼ日本国内に限られることを考えると驚異的なシェアであるといえる。冷戦崩壊直前に、ソ連の「プラウダ」が約1500万部、中国の「人民日報」が約1000万部であったと言われていることから考えても、日本の巨大新聞の国内での存在がいかに飛び抜けたものであるかわかるであろう。

しかも敗戦によって、政府が歴史問題など価値観に関する権威を失い、代わりにジャーナリズムやアカデミズムに主導される世論が主導権を握るという構造になった。歴史·戦争責任にかかわる問題は、政府や政治権力に対しメディアが圧倒的な優位に立てる題材になったのである。自らも戦争責任問題を引きずっていることからも、メディアは「正義の味方」である必要があった。かくて隣国との歴史問題は、日本の新聞にとって好餌(こうじ)となったのである。

出口はあるか——遅すぎた朝日の検証
今回、朝日新聞が過去の報道を検証し、誤りを認めたことは、メディアとして正しい行動であったと思う。しかし、いかにも遅すぎた。最初の吉田証言の報道から32年、政府が行動を余儀なくされ、しかも証言の信用性が失われた92年から22年。この間に、「強制による従軍慰安婦」の問題は、韓国世論の中にビルトインされた。しかも、日本の戦争責任問題の中の代表的な案件として国際社会でも認知されてしまったのである。
国際社会から見れば、日本の「従軍慰安婦」問題全体の中で、韓国との論争点などは、実はごく一部の些末な問題なのである。「従軍慰安婦」問題全体、さらには戦争責任問題全体への日本の態度こそが重要なのである。しかし、たとえ些末な「誤り」であろうと、それを日本が自分から修正しようとすると、外から見れば「歴史修正」を行っていると判断される。相手国が政治的意図をもってこの問題を使おうとしているとわかっていてもである。この点において日本はまだ被告人席に立っているのである。しかも日本国内には、一部の過誤から逆算して、ほかの過去の戦争責任全体までも否定しようという隠然たる圧力が存在する。このことが、さらに日本の行動を制約している。
一方、韓国は、近年、中国に急速に接近していく過程で、相変わらず「李承晩のフィクション」をアピールしている。しかも中国がこれに応え始めているのである。日本ではまだその深刻さが十分理解されていないようだが、中国が行っている光復軍の顕彰や抗日戦での共闘を認める発言は、韓国に対して外交的に重要な意味をもっている。中国はそもそも北朝鮮に正統性を付与していた存在だったのである。北朝鮮の崩壊と統一の可能性が現実味を増すにつれ、統一の主体としての「李承晩のフィクション」を内外に認めさせようという韓国のモメンタムは高まっていくと考えられる。
過去の報道が取り消されても、事態が白紙に戻ることは考えられない。それゆえ、この日韓両国で展開された一連のフィクションは、起点となった吉田清治の「嘘」そのものとは比べものにならないほど深刻で、罪深いものになったのである。
(編集部·間宮 淳)

資料 「従軍慰安婦」報道と歴史問題の推移
1977年
慰安婦問題
吉田清治『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』刊行。

報道
9月2日、朝日新聞が「済州島での女性狩りの事実」という吉田清治証言を大阪社会面に掲載。以後16回吉田証言を記事化。

1982年
歴史問題
6月26日、大手新聞とテレビ局各社が、文部省の高校日本史教科書の検定で、「(華北への)”侵略”を”進出”へと改めさせた」と報道。7~8月、外交問題に発展。文部省は改変の事実がないと発表し、報道各社も検証の結果、誤報(日本テレビ記者の誤りが原因)であることを認めた。教科書検定基準に「近隣諸国条項」が盛り込まれる。

1983年
慰安婦問題
吉田清治『私の戦争責任』刊行。

1989年
慰安婦問題
吉田清治『私の戦争責任』韓国語版刊行。

1990年
慰安婦問題
10月、韓国の37の女性団体が声明発表。「慰安婦」の強制連行を認めたうえでの公式謝罪、賠償などの6項目を日本に要求。11月、「韓国挺身隊問題対策協議会」設立。
歴史問題
10月、ドイツ再統一、11月、ドイツ=ポーランド国境条約締結。この段階まで、西ドイツはヤルタ協定によるドイツ東部国境(オーデル·ナイセ線)を正式承認せず、旧東方領からのドイツ人難民の請求権も放棄していなかったが、これも決着。

1991年
報道
8月11日、朝日新聞が初めて名乗り出た元従軍慰安婦の証言を録音テープを基に匿名で報道。韓国メディアより先。14日、北海道新聞が単独インタビューを実名入りで報道。15日、韓国主要紙が報道。
慰安婦問題
8月、韓国で元慰安婦が一人、初めて名乗り出る。日本、韓国で報道。いずれも「挺身隊」と「慰安婦」混同。日本政府調査開始。10月~92年2月、韓国MBS放送が従軍慰安婦を主人公にしたドラマを放送。12月、名乗り出た元慰安婦が日本政府を提訴(「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」.日本の人権派弁護士が主導。2004年に最高裁で原告敗訴)。

1992年
報道
1月11日、朝日新聞朝刊、『慰安所 軍関与示す資料』の記事掲載。12日、朝日新聞社説「歴史から目をそむけまい」掲載、「挺身隊」と「慰安婦」混同。この朝日報道のあと、内外報道機関各社が強制連行の人数まで上げた吉田証言を報道する。しかし、その虚偽性が研究家の間で認識され、国内報道機関は8月以降、この証言を前提にした報道を控える。7~8月、朝日新聞が旧オランダ領東インド(現インドネシア)で戦時中に複数のオランダ人女性が強制的に慰安婦とされた件を、戦後のBC級戦犯裁判記録を基に報道。
慰安婦問題
1月、朝日新聞の記事を受けて、韓国メディアが一斉に報道。「挺身隊」と「慰安婦」混同。1月16日、宮澤喜一首相が訪韓、日韓首脳会談で謝罪。3~4月、歴史学者·秦郁彦氏が済州島で調査、吉田清治の一連の証言が事実無根であるとの結果を発表。4月、政府が調査結果を発表。アジア全域での慰安施設に対し公的関与があった例を認める。

1993年
歴史問題
8月、中韓国交正常化
慰安婦問題
8月、「河野洋平官房長官談話」表明
慰安婦問題
8月、村山富市首相が問題解決へ談話

1994年
歴史問題
1月、オランダ政府が旧オランダ領東インドでのオランダ女性慰安婦についての資料発表。中国で愛国教育が始まる。

1995年
慰安婦問題
1月、「週刊新潮」で吉田清治氏が、自書の内容が創作であることを認める。7月、民間団体「アジア女性基金」が政府主導で発足。8月、戦後50年の村山談話発表。

1996年
慰安婦問題
1月、「吉田証言」を採択した国連クマラスワミ報告書提出。

1997年
慰安婦問題
1月、アジア女性基金が韓国の7人に償いを実施。韓国内で「裏切り者」非難。

1998年
報道
3月、吉田清治氏、朝日新聞の取材拒否。朝日は「真偽確認できず」と表記。
慰安婦問題
3月、韓国·金大中政権、「韓国挺身隊問題対策協議会」の要求を受け入れ、アジア女性基金の償いを受け取った7人を支援対象から排除。

2000年
歴史問題
7月、アメリカとドイツ、ドイツ企業に対する訴訟を取り扱う財団財団「記憶·責任·未来」設立で合意。

2001年
慰安婦問題
1月、NHK、「シリーズ『戦争をどう裁くか』」の第2夜「問われる戦時性暴力」放送。2005年になって問題化。
歴史問題
「新しい歴史教科書をつくる会」の高校日本史教科書が検定通過。8月、小泉純一郎首相、最初の靖国神社参拝

2004年
歴史問題
6月、韓国·盧武鉉政権「性売買特別法」制定(ちなみに日本の「売春防止法」施行は1957年)。

2005年
報道
1月、朝日新聞、2001年1月のNHK番組を取り上げ、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭·安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」と報道。直後に記事中で取材対象として出てくる「NHK幹部」の松尾元放送総局長が名乗り出て朝日の記事内容を全面否定。7月に朝日新聞は一連の報道の検証記事を掲載するが松尾発言を否定する事実は出なかった。
歴史問題
3~4月、中国で反日デモ広がる。韓国で8月、韓国盧武鉉政権が日本統治時代の「親日派」の子孫を弾劾·排斥する法律を制定。

2006年
歴史問題
8月、小泉純一郎首相、最後の靖国神社参拝。

2007年
慰安婦問題
3月、「アジア女性基金」解散。3月、安倍晋三首相、「広義の強制はあったが狭義の強制はなかった」発言。欧米で反発。7月、米下院、対日謝罪要求決議。吉田証言を採択。

2010年
歴史問題
9月、尖閣諸島中国漁船衝突事件、中国の反日運動過激化。

2011年
慰安婦問題
8月、韓国憲法裁判所が、従軍慰安婦問題で政府の「不作為」に対し違憲判決。
11月、「韓国挺身隊問題対策協議会」により、ソウル日本大使館前に「慰安婦像」設置。

2012年
歴史問題
5月、韓国大法院が戦中の日本企業の徴用工問題で個人賠償を認める判決。
8月、韓国の李明博大統領が竹島に上陸。さらに「独立運動家」への天皇謝罪を要求。9月、日本政府が尖閣諸島国有化決定。中国で反日運動始まる。

2013年
慰安婦問題
7月、アメリカ·カリフォルニア州グレンデール市に韓国系米国市民の拠金で「慰安婦像」設置。
歴史問題
3月、朴槿恵韓国大統領就任、6月、中国に国賓訪問。

2014年
報道
8月6日、朝日新聞が一連の「従軍慰安婦」報道の検証特集。軍による強制などについて「誤報」と認める。
慰安婦問題
6月、政府が河野談話作成過程の検証。談話見直しを行わない方針決定。8月、朝日新聞の検証報道を受け、自民党内も含め、河野談話見直し要求が高まるが、菅義偉官房長官が見直しの必要なしの方針を再確認。
歴史問題
1月、中国黒竜江省ハルビンで「安重根記念館」開館。5月、中国陝西省西安で「光復軍」関連の石碑を除幕。7月、習近平中国国家主席、訪韓。中韓が対日戦を共闘したという認識発言。

参考資料
『朝日新聞』2014年8月5日朝刊、15、16面
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年
吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店、1995年
読売新聞戦争責任検証委員会『検証 戦争責任』中央公論新社、2006年
野口悠紀雄『1940年体制』東洋経済新報社、1995年
ロー·ダニエル『竹島密約』草思社、2008年
舩橋洋一、三島憲一、御厨貴「徹底討論·問題の根源を洗い出す 〈戦争責任〉の着地点を求めて」『中央公論』2003年2月号掲載
田中健之「金王朝成立史」(中央公論別冊『北朝鮮の真相』掲載)中央公論新社、

2012年
外務省ホームページ
このほか報道各社の記事を参照

カバー写真=吉田清治(提供·読売新聞/アフロ)