原理運動の素顔

原理運動の素顔
何をする集団なのか その不気味さの実態を衝く   (1975年)

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山口 浩  (やまぐち・ひろし) 著

1937 年東京生まれ。立教大学卒業後,コピーライター,シナリオライターを経て雑誌媒体に入 る。以後一貫してフリーランスのルポ・ライターを続け,主として海外取材が多い。特にカジノ に精通し,世界カジノのレポートやカジノギャンブル小説などをものして,この面での第一人者。 今回も韓国は五カ所のカジノのオーナーとも,昵懇の間柄で,月に一度は行くが,その韓国で遭 遇した題材だった。硬軟ともに氏の筆になると独特の味合いに料理されて出来上るが,そのジャ ーナリストとしての眼はしたたかである。


原理運動って何だろう

一九七五年二月八日、韓国のソウルで行なわれた干八百組の合同結婚式のもようは、新聞やその他の報道機関によってかなり大々的に取り上げられたので、読者の方々にはまだ記憶に新しいことと思う。そしてこの“合同結婚式”を通じて、原理運動ということばを初めて耳にした方も多いにちがいない。

私はこの運動の実態を取材しているうちに、平和な家庭を破壊してしまう原理運動の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。

では一体、原理運動とは何なのか? 私はこの疑問を根本にすえて、その運動理論や教祖・文鮮明とはどんな人なのか、また原理運動を支える資金源は何か、などの問題を解明してゆきたい。


1章  原理運動とは何か

2章  教典・原理講論を紹介してみる

3章  勝共運動とは何か

4章  韓国宗教界の実態

5章  教祖・文鮮明の素顔

6章  文鮮明の虚像と実像

あとがきにかえて


5章 教祖・文鮮明の素顔  

132-139頁

文の隠された秘密  十六歳啓示説はウソだった?!

京城商工実務学校の卒業写真・後列左から5人目が文 (下の写真は拡大図)


ソウルで取材を続けていたある日、この学校の名前をチラッと聞き込んだ。ツテを頼って、ようやくにして江本龍明と同級生だった人に会えた。そして借用して来たのが、卒業記念写真である。坊主頭こそしているが、十八歳の江本龍明は、現在の文鮮明とまったく変わりがない。本人であることは一目瞭然である。

現在は中央大学になっているが、こうした手づくりの学校で教育を受けた卒業生たちは、なんとかして土居先生、園部先生を韓国へ招待したいと奔走した。さらに卒業生たちは、現在の中央大学に対し、自分たち旧京城商工実務学校時代の者たちも、初期の卒業生としてその居住権を認めるよう交渉して、現在の学校長から許可を得た。

やがて、在日の卒業生の努力などによって、土居先生、園部先生の居所も分り、五年程前から二人の先生は韓国へ招待され、卒業生たち数百人が集まり、熱烈な歓迎をした。その中には陸軍の将校もいれば会社の社長もいる。彼らの案内で、土居先生たちは、いまはもうあの手づくりの小さな校舎ではなく、立派な大学になっているかつての学校へも訪問し、記念の植樹をした。

このような熱烈歓迎の教え子たちの中に、当然
いるべきはずの江本龍明がいないのだ。そして、五年間に数度の先生たちの渡韓に、その都度の歓迎会にただの一度も彼は出席せず、憤慨した同窓生たちは彼を同窓名簿からオミットしたのである。

園部氏は昨年、文鮮明の所へ手紙を出した。

“貴君は江本龍明君ではないかネ、最近、君は世の中を騒がしているらしいが止めたまえ、久しぶりに会って話でもしようではないか”といった意味のものだが、ついに返事は来なかった。

十六歳で神の啓示を受けた江本龍明は、『統一教会史』にもある如く、さぞや京城商工時代に、信仰生活を過ごしていた、と思いきや、土居先生も園部先生も、“それは気がつかなかった”と述べている。

クリスチャンである両先生は、日曜学校へ通われたが、そこでもついぞ、イガグリ坊主頭の教え子江本龍明に会った記憶がない、という。

写真提供者の同級生は、さらにハッキリと、文鮮明が信仰者でなかったことを断言している。むしろその同級生は、両先生からキリスト教の影響を受けて、現在の彼になったのではないか、という。神ならず、恩師の啓示によって億万長者になったのだから、人生とは分らないものである。

一九三九年、京城商工を卒業してから、四一年に日本へ渡るまでの間が不明である。

「以来、一九四五年韓国が日本から解放されるまで、真理の探求に全てを献げ、内省的な静かな時を過しました。この時、宗教精神や霊的感覚が涵養されたようです」とは、Rev. Moonのプロフィールだが、そんなナマやさしいことをいっていたのでは、血と汗と涙にまみれた苦難の道は歩めまい。

事実、一九四一年から四四年まで、日本へ行き、抗日地下運動をやっている。つまり、日本に対して刃向ったわけだ。

韓国における日本軍の横暴は、眼に余るものがあったろうし、若き日の文鮮明が、これに抵抗し、人民のために戦おうとしたことは真実かもしれない。だから、三九年から四一年までの間、彼がソウル周辺で、働きながら抗日運動をやったとして、なんの不思議もないのだ。それでなくては、日本行きが、まったく突然のこととなってしまう。


144頁

そして″血分け″の方法は、といえば、教祖に献血してもらうのではない。ヤクザの義兄弟の契りのように血をすすり合うのでもない。教祖サマにセックスをしてもらうことによって″血分け”を行なうのである。従って、教祖サマからの血分けは、女性しか出来ない。その女性から今度は男性が分けてもらう、というように、男→女→男と互いちがいに行なうのだ。


163-164頁

一九四九年五月、北朝鮮の傀儡集団の警察は、文鮮明を混淫罪のかどで逮捕した。今もソウルに居住している金某女史の夫が告発したためであるが、当時、文は神の啓示を受けたとして、本妻がいたにもかかわらず、女性信徒金某女史と強制的な婚姻式ごとをやっていたところを警察に踏み込まれて逮捕されたのである。金某女史は懲役十ヵ月、文は五年六ヵ月の実刑を言い渡された。この項は、金景来氏が、金某女史に面談取材して書いたものである。


Moon and his “meeting with Jesus” – Yamaguchi Hiroshi (1975)