創立同志が告発する統一教会文鮮明の正体

週刊文春  Shūkan Bunshun    1993.10.28         205-207頁

いまや決裂したニ人 ▲

創立同志が告発する統一教会文鮮明の正体

唯一の生き残り

有田芳生 & 本誌特別取材班


統一教会最大のタブーといわれる〝血わけの儀式〟。それを実体験した証言者が現れた。創立以来の最古参の教会員、朴正華氏である。「文鮮明を再臨のメシアと信じたことが、すべての誤りの発端でした」と悔いる朴氏が明かした、統一教会創成期の知られざる実態。


▼ 若き日の朴氏(左端)と文鮮明(右隣)

▲ 統一協会の創立者たち(前列)左から:
著者 文鮮明(白雲鶴)(金源徳) 劉孝元
(後列)左から:金相哲(李耀翰)李昌煥
( )のない人たちが創立者-この五人の他に劉孝敏が含まれる


統一教会を創設した一人で、文鮮明教祖の側近中の側近だった朴正華氏(81)が、衝撃的な告白を行った。

 その証言は、近く発売される『六マリアの悲劇』(恒友出版)で明らかになる。朴氏は詳しい日記やメモをもとに、八五年八月末に原稿を書きはじめ、今年

の九月末までに二百字づめ原稿用紙六千枚を書き上げた。その核心部分を凝縮してまとめたのがこの本なのである。

 この勇気ある証言で、創成期の統一教会「奥の院」の驚くべき実態や、文鮮明教祖の知られざる素顔が白日の下にさらされることになる。私たちは朴正華氏から、この証言を行った目的や、文鮮明教祖を美化するために行われた歴史の偽造、自分も体験した「血代交換」(いわゆる「血わけ」)の実態などについて話を聞く機会を得た。

人妻との結婚騒ぎで懲役刑

 朴氏は、背筋を伸ばしたまま流暢な日本語で語りだした。

「朴正煕大統領以来最近まで、この本を出す条件はありませんでした。ところが真面目なクリスチャンである金泳三氏が大統領になり、もはや文鮮明と手をつなげない時代が来たのです。 私がこの本を書いた理由の一つは、文鮮明を再臨のメシアだと信じ、故郷の家族まで捨てたことが間違いだったことに気付いたことです。

 北朝鮮の内務省に所属する第二旅団第二大隊長だった私は、一九四九年に部下が闇商売に関わったことから、職務怠慢罪で懲役三年の刑を受けました。はじめは平壌刑務所に、やがて興南特別労務者収容所に移されました。この興南で文鮮明に出会ったのです。文鮮明は、金鍾和という人妻との結婚騒ぎで社会秩序紊乱罪に問われ、懲役五年の刑に服していたのです。

 収容所の中で文鮮明から『聖書』の原理的解釈を聞いた私は、彼を再臨のメシアだと思い込み、後に統一教会の創立にも参加しました。それがすべての間違いの発端でした。

 この本を書いたもう一つの理由は、夫や財産のある婦人たちが文鮮明のために家庭を破壊され、いまや七十歳を過ぎても不幸のままであることを明らかにし、彼女たちの生活を少しでも安らかにしたいという思いです。本の印税もそのために寄付します。私が知っているだけでも二十八人の女性が不幸になっているのです」

朴氏は収容所で文鮮明からこう教えられたそうだ。

「第二のアダムであるイエスはこの世に生まれて女の人たちとの復帰を達成できなかっだ。から第三のアダムである文鮮明はまず、天使長ルーシエルとエバのセックスによってアダムが奪われたものを、夫がいる人妻六人、すなわち六人のマリアを奪い取ることで取り戻さなければならないというのです。

 さらに、六マリアと復帰したら次に、再臨のメシアである文鮮明は、セックス経験のない処女を選んでエバと定め『小羊の婚姻』(正式な結婚)をすると説明していました」

 本のタイトルにもなっている「六マリアの悲劇」とは、この原理の教えに基づいて、文鮮明氏たちが、どのように性の儀式を行い、そこからどれだけの被害者が生まれたかを象徴的に表現したものである。

 「文鮮明の解釈では、最初に再臨のメシアから復帰(セックス)させられた女は、他の男の食口(信者のこと)に蘇生、長成、完成と三回にわたる復帰をしてあげることができるというのです」原理の教えを信じて、文鮮明から「復帰」を受けた一人に劉信姫がいる。彼女は、いま自分の体験を証言することについて、朴氏の本の中でこう語っている。

「今まで外部の人に沈黙してきたのは、子どもたちに復帰の事実を知られるのが怖かったからです。私はもう年齢が年齢だから耐えられても、子どもや孫への悪影響を考えると……。本当はとても恥ずかしいことなのですけれど、やっぱり死ぬ前に事実を明らかにすべきだと思っています」

 本名を出し、女性としてはじめて証言した勇気に、統一教会はどう答えるのだろうか。

梨花女子大事件は偽証で無罪

 実は朴正華氏は、この七月にも韓国・水沢里にある修練所で文鮮明とともに歩んだ自分の人生を、日本からやってきた統一教会員たちに講演している。信者たちの前で話をするのは、朴氏が統一教会にとって重要な役割を果たしてきたからにほかならない。

 「私は一九八一年に脳溢血で倒れ、二ヵ月間入院しました。気が弱くなっているその時に、義兄である厳徳紋の妻などが『あなたと文鮮明先生とは天が結んでくれた深い縁がある。統一教会から離れたから病気になったのです。いまからでも懺悔して統一教会に戻りなさい』と言われました。それから再び熱心に教会に通いはじめたのです」朴氏が一九六二年に統一教会から離れていったのは、文鮮明氏が自分を疎ましく思っていることが分ったからだ。 一九五五年七月四日、文鮮明氏など幹部五人が逮捕される事件が起こった。梨花女子大事件である。取り調べは混淫(セックス)関係の事実調査だった。朴氏によれば、関係者の偽証で文鮮明氏は無罪となる。

 翌年春、朴氏は文鮮明氏の指示で鉱山にやられた。やがて文鮮明氏からの情報や経費もストップしてしまった。ちょうどKCIA(韓国中央情報局)と関係が深いと言われる朴普煕氏(現

在のナンバー2)が、統一教会に入ってきたころだ。

 文鮮明氏にとって、創成期の実態を知ってい。る朴正華氏を切り捨てて、権力とも通じる朴普煕氏などを重用したのだろう。病気をきっかけに再び教会に通いだした朴氏に、やがて統一教会から重要な役割が課せられることになる。

 「一九八三年に統一教会国際部から連絡がありました。聞きたいことがあるというのです。教会に足を運ぶと、国際部長の安炳一が写真を見せました。『中央日報』(韓国の日刊新聞)に載った写真で、髪の短い男が荷物を持った男を背負って川を渡っていました。安炳一は『この写真は、文鮮明先生が朴さんを背負って川を渡っている写真ではないですか』と聞きました。私は『当時、写真を撮る余裕などなかったし、先生におんぶされて川を渡ったことはありません』とはっきり答えたのです」ところが、この写真が文鮮明氏の「美談」として統一教会員たちに語りつがれていく。

 朴氏は安炳一国際部長から、日本へ行って文鮮明氏との思い出を語って欲しいと頼まれた。ただし、興南特別労務者収容所の話と平壌から釜山まで避難した話に限ることが条件だった。

お父さまの苦難に比べれば

 八四年、日本の統一教会本部に行った朴正華氏は驚いた。本部の壁に大きく拡大された例の写真が掲示されていたからだ。しかも幹部の説明では、アメリカにいる文鮮明氏が、この写真を自分だと認めたというのだ。朴氏がそこで否定すれば、文鮮明氏が嘘をついたことになる。日本の教会員を失望させたくないという思いから、朴氏はやむなく嘘をつき通すことになる。

 朴氏は「メシアとともに歩んだ生き証人」として、東京、名古屋、大阪など全国十数力所で四十回ぐらい話をさせられたそうだ。のべ人数は約五千人にもなる。

 講演を聞いた統一教会員たちは涙を流し、記念撮影を求める者も多かった。動乱期にあって、自分の命よりも他人のことを考えてきた文鮮明氏の苦難を思えばどんな経済活動や伝道も大したことではないというのだ。

 「お父さま(文鮮明氏のこと)の苦難に比べれば……Lというのが統一教会員たちの共通した思いとなった。その象徴として統一教会員たちを鼓舞激励したエピソードの一つが、朴正華氏を背負って川を渡る文鮮明氏の写真だった。この写真が大いに活用された時期は、霊感商法の被害がピークを迎えた八四年から八六年ころなのである。

 統一教会は、この朴正華氏の証言を内部教育で実に効果的に使ってきた。

 「現代摂理史」という「二一日修練会」で使われるテキストがある。最近まで使われていたテキストでは、「朴正華氏の証し」として、朴氏の証言がふんだんに収録されている。

 もちろん、文鮮明氏が朴氏を背負ったという大きな写真も掲載されている。そこでは文鮮明氏のこんな「麗しい」決意が紹介されているのだ。

「もし、朴氏を背負って渡るこができないようならばどうして私か天宙復帰の責任を負うことができようか」

 元信者の証言によれば、このときの状況は、南へ逃避行を続ける途上で朴氏が「体が弱ってもう行くことが出来ない」と弱音を吐いた。それに対して、文氏がこう発言したと教えられたのだ。この「私」は文鮮明氏だから、実際に文氏がそう語ったと考えるのが自然である。

 ところが最近、この写真は文鮮明氏ではないと、統一教会がこっそりと認めたのだ。『ファミリー』という市販されていない信者向け機関誌がある。この七月号に「特別教育資料」として「統一教会批判に対する見解」が教育局名で掲載された。

 そこには「その人は文先生ではなく、別の人物」であり、「韓国統一教会の関係者」が「文

先生と朴正華氏の写真ではないかとして紹介したものです」と書かれている。

 「見解」はさらに、朴氏が「『ひょっとすると自分かもしれない』と思い出し、そのようにも発言し(一九八四年五月九日)、さらに一部関係者もその写真の経緯が十分分からないままに『文先生だ』として伝わったものです」と断っている。

 誤りを認めるのはいさぎよいことだ。だが偽造された歴史の「美談」が、信者たちを霊感商法などの反社会的な経済活動に駆り立ててきたことも事実なのである。

 その「美談」を作ったのが「一部関係者」ではなく、ほかならぬ文鮮明氏であることが、

このたびの朴正華氏の証言で明らかになったのである。

 朴正華氏の証言は、当時の日記やメモによるものだけに興味深い話が多い。たとえば、統一教会では創立を一九五四年五月一日としている。だが、当時の写真にも写っているように、実は五月三日が創立の日付けなのである。

 さらには統一教会の正式名称である「世界基督教統一神霊協会」について、「神霊」とするか「心霊」とするかで議論があったという。

 この創成時の会長は李昌煥という。朴氏は『六マリアの悲劇』のなかで「だが彼は三か月で脱会してしまった」としか書いていない。そこで初代会長が脱会した事情を聞いてみた。

 「李昌煥は延世大学の英文科を卒業した人物です。ある日、李昌煥と文鮮明、それに私が、キリスト教会の韓玄玉長老と五時間ほど話をしたことがあります。文鮮明は原理の教えを話すのですが、韓玄玉長老が『聖書』に書いてある歴史と違うと言うと、文鮮明は答えられないんです。文鮮明は『祈祷してみなさい。そうすれば分かる』と言うだけでした。メシアだと自称する文鮮明がその程度の水準であることに呆れて、李昌煥は統一教会をやめてしまいました」

文鮮明氏の過去を語る動き

 ところで統一教会広報部は朴正華氏の証言について、「統一教会には『血代交換』などという教義も、儀式もありませんし、文鮮明師が六人の人妻とセックスし、六マリアとして復帰、セックスリレーが繋がったなどという事実は一切ありません」と全面否定し、そのうえでこうコメントした。

 「なお、朴正華氏は今年七月二十三日、『声明書』を発表し、その中で『今日反対派が語っている文鮮明先生に対する血わけに対しては反対派が捏造した流言蜚語であり、わたしは一度も見も聞きもしなかった』と断言しています」

 この統一教会の見解について朴正華氏は反論する。

 「この文書は安炳一氏が、私の名前まで印刷された文書を持ってきて、悪用はしないから印だけ押してくれと頼んできたものです。私が印を押したのは、この本を出すまでは、統一教会を安心させておこうと思ったからです。これまで韓国で統一教会に反対してきた人たちが、様々な脅迫やテロに遭ってきたことはよく知られています。私は生命をかけてこの本を世に問うつもりでした。統一教会を安心させるためにやったことで、絶対に私の本心ではありません」統一教会の「血統転換」という教えが、いわゆる「血わけ」といわれる事実と関わって議論されるとき、統一教会は非常に敏感に対応してきた。

 だが、今回の朴正華氏の証言に触発され、女性をふくめた当事者がさらに文鮮明氏の過去を語ろうとしている。隠された歴史はいつか明るみに出る。それが歴史のダイナミズムなのだ。