元統一協会員の証言

元統一協会員の証言
<主婦、11年の信仰>
私は、1989年の2月から2000年10月まで11年8ヶ月間、統一協会員の4000万双、既成祝福家庭でした。

統一協会に入信する事になったきっかけは、訪問の手相からでした。普段は開けないドアをその日にかぎってドアを開けたところ、清楚できれいな若い女性が立っていました。その時は友人がきていたせいか気軽に観てもらうことにしました。夫婦関係、子供の事を聞いたと思います。

その頃、家庭、親の事などで何とかしたいと言う思いが強かったので、彼女の言葉が希望的に感じました。そして丁度その頃は、霊界のこと、人間の心の中には、善と悪があること、宇宙の事、神、自分の事になると面倒な事も人の為に何かをする時には同じ事でも心良くする事がなぜ出来るのだろう。とよく考えていた時でした。
そう考えるとビデオセンターに行き、因縁とか、霊界の話し、神の事、為に生きる、人類の目的などを語る統一協会の教えは、目からウロコが落ちる思いでドンドン引き込まれて行きました。

もともと宗教の勧誘は受け入れない性格でしたが、もうその時には、実は宗教で統一協会だったと聞いても、メシヤが文鮮明だと聞いてもすべてを受け入れていました。何もその頃は疑うものはありませんでした。ただ「サタンが引っ張ろうとするので、たとえ体調が悪くても、子供が熱を出したとしても、超えて来たほうがいい」と言われていました。
(統一協会は神が願われている地上天国、天上天国を実現する人類が救われるのは唯一この道しかない神側でサタンは神の成そうとする事に足を引っ張ろうとする)

「家族、友人にも(まだ真理を知らない人はサタン側なので)話さないほうがいい、あなたがこれなくなるとせっかくここまで導いた神様、先祖が悲しむ」それどころか、「真理を知ってからやめると霊界に行くとすべてわかるので、やめさせた人、やめた人、は先祖から恨まれ、地獄に行く。家族も氏族も救うことは出来なくなる、また一からこの氏族の中からこの真理に出会う人を捜し出し導かなければならない、導かれてやめたりしたらこの真理だけが、救いの道なので先祖がもう一度知らせるためにたとえ災いを家庭に起こしたとしても気がついてほしいと望む」と、具体的にある方は、一度やめたけれど、家が家事で焼けてまた再び教会へ戻って来たとか、子供が交通事故に遭い戻って来たなど例をあげて時々私たちに話しをしたりしました。

もうそうなると、自分はやめない、やめることは出来ない家族のためにも、氏族のためにもそして神の理想世界を実現するためにも。夫にはそれまで聖書の勉強のサークルに行っているとウソを言って出かけるようになりました。早くこの真理を伝えたかったのですが、時が来るまで待とうと思いました。肩には使命の重さが乗っかっていたとしても、普段は原理の勉強自体は講師の人もジョークを交えながら内容も興味深く引き込まれ、そして自分が神様や先祖の功労により選ばれ導かれたと言う喜びもあり希望をもつようになりました。

たとえ子供に熱があったとしても、「これがこの子も神の為に救いの条件をたてた事になるのだ」と考え親として心配で辛くても超えて行くようになりました。「超えることによって、神様と先祖がその子供を守るから案外だいじょうぶ。」と言われ、また本当に超えてみると何事もなかったり、熱も下がったりするとその言葉が本当のように感じました。

その後、実践トレーニングでお茶売りをするようになり、自分がまさか訪問販売のような事をするとは考えてもみませんでしたから「なんで私がこんな事をしているのだろう」と気も進みませんでしたが、上の人が「神様を感じる為、神様の心情を理解する為には必要な事」といい、毎日お茶売りから帰るとトレーニング生、班長、隊長と輪になり「今日はどの様な神様に出会いましたか?」と聞かれました。私はあまり神様を感じる事ができず、答えるのに苦労し、時には周りに合わせて答える事もありました。

たぶんこのようにして知らず知らずのうちにマインドコントロールされていて、訪問での手相から数ヶ月で統一協会の考え方、とらえ方にすっかり変わっていたと、今では感じます。

高麗人参、着物、宝石などの展示会に友人、知人を誘う事もその人が救われる為に天のものを授けたいと言う思いで、人間的に考えれば言えない事も、超えて水行や断食をしながら誘いました。しかし、条件をたてても断られたり、突然キャンセルになったり、たとえ展示会に来たとしても授からなければ、自分の心情が悪かったとか、足りなかったと自分を責めるのです。しかし今では、それは、普通の出来事で一般の会社であることと何ら変わりない事だったと思いますが、そのように考えることも出来なくなっていました。

その後、礼拝で中心者が「もう、家族、氏族に隠す時代ではない!」という言葉を真に受け、その日に夫に手紙で統一教会に入信していることを伝えました。(後で聞くところによると真に受けて話す人はいないようでした、まだ信仰が浅く、子育て中で世の中の事には情報も乏しく、統一協会がどれほど反社会的に見られているかは知らなかったので、もっと単純に考えて夫に明かしたのです。)

その日から家庭、親との戦いが始まりました。夫は統一協会のことを調べ、反対をしている人達の本などを持ってきて猛反対をしたのです。もうその時から夫の言葉には耳を貸すことはありませんでした。「夫は原理を知らないのだから」「私がまだ尽くし足りないから夫の背後にいるサタンは屈服しないのだ」「きっといつかはわかってくれる日がくる」夫は夫でなんとかやめさせようと努力するのですが、反対されれば、される程、「自分だけでもこの信仰を守らなければ家族が地獄にいくことになる」ともっと深く信じ、信仰にのめり込むようになるのです。そして夫にウソも少しずつ増えてきて、ないしょで着物や宝石を買っては、ばれてその度に夫婦の溝が大きくなっていきました。

すべて反対の強い家庭の人が深く入って行くとは限りませんが、その家庭、家庭での背景も複雑にからんでいるのです。

自殺者が多い家系、離再婚が多い家系、様々な背景によって本人がどの様にとらえているかによっても違ってくると思います。周りの状況で考えると比較的に夫の反対がない家庭、「好きにしたら?でも自分は誘わないで」という方のご婦人のほうが、そこそこの信仰を保っているようにおもいます。ただやめるのは、何か災いが起きたらいやですし、原理の教えは信じているので辞めようとまではしないのです。

以前にも、文鮮明の言葉で「脱会するよりも、籍は残し、来ない方がまだましである、髪の毛一本でもつながっているほうが良い」というような言葉がありました。だから、中にはそうゆう方もいます。しかし、そこそこでも救われるのに、なぜたくさんの人は苦労をしても必死に信仰を高める人がいるかというと、個人の責任感もあると思いますが、神、メシヤと共に苦労し歩むことによって、恩恵がある(後孫がその恩恵を受ける)、霊界へいくと先祖から「神様も真のご父母様も身をけずって理想世界、人類救出のために働いているのに、せっかく導いたのにおまえは何をしてきたのだ」と批判をうける事もイヤですし、(霊界での事は日々話しに使われているので)、天的(神側、神=親からみたらどうだろうか)と考えると、親が子供に「苦労は買ってでもしろ」と思うように、苦労する姿をみる事は忍びないけれど、それもこの子の為と見ている姿を思うと、私達(子供)はどんなに苦しくても、悲しいことがあっても、頑張るし、喜びもあるのです。そのようにしながら、反対する人達の言葉にも、耳を貸さなくなります。

私は途中から家族の監視も強くなり、なかなか教会に行くことは出来なくなった時期もありましたが、その間は教会では、「報告、連絡、相談」は必ずする事になっているので、隠れながら、出来る限り守り電話でしていました。

1992年TVで話題になった桜田淳子さん達の合同祝福結婚式の時期、霊感商法などを大きくとりあげられていて、私の目にも飛び込んできました。当時私は引っ越したばかりで、教会の移転手続きが出来ていなかった為行くところも、連絡もする事が出来ませんでしたので、報道を見て、わずかに心揺るがすものはありましたが不安な思いとか、疑問はすぐにうち消そうと見るのを辞めてしまいました。心のどこかにもしこの信仰がまちがいだと知ったとしても今更やめられないと思ったのかも知れません。

その内に仕事も本格的に始め一年位経ったころ、教会でよく知った方とバッタリと会う事が続いた時に私の信仰生活は再び深いものになって行きました。また、ウソも多くなってきたのです。絵画の購入、献金などがわかってしまい夫の怒りもつらさも理解できるけれども、教会の教えではそれは、すべてウソも良い事になるのです。しかし実生活では、教会ではどんなに忙しくて大変でも家の事はしっかりやり、夫、子供、親に尽くし、愛しなさいと言うものなので、溝が深まりながらも、限界以上の努力を心がけるのです。出来ずに夫や家族の怒りをうけると、自分の尽くし方が足りなかったと自責するのです。こんな矛盾が生じた生活が起こっていきました。

1997年11月ワシントンでの合同祝福結婚式、夫、家族の反対をおしきり渡米、私の信仰は命がけになって行きました。「超える」というハードルは初期の頃よりも、もっと高いものになっていました。家庭でも針のむしろのような状態、何か事がある度に家族の顔がこわばり、心の中で「死なんとする者は生きん」という言葉が住み着くようになりました。神様とメシヤだけは自分の苦しさ、悲しさをすべて知っている。信仰の兄弟姉妹はわかってくれている。それだけが孤独での中の唯一の慰めでした。

しかし私以上に夫、家族、それを知っている友人の気持ちは本当に苦しいものだったと思います。どれ程傷をつけて、心配もかけてしまっていたでしょうか。

1999年、2000年世の中では世紀末と騒がれ、ますます教会での摂理、活動も、献金も激しいものとなり、献金に対しても露骨に詰めがはいるようになりました。時には脅しに近いこともありました。(中心者は神の立場から言っているので脅しとは感じませんし、言うほうも体力的、精神的にも私達以上にギリギリで徹夜祈祷、夜中の訓読会、敬拝の条件、断食等いつ倒れても不思議ではありませんでした。

そのように上の人達の必死に神、メシヤを思い、支えようとする姿やつらさもわかっていたので何も言う事ができませんでした)これは、私のいた教会の事で、他のところではわかりません。私はその姿をみて、支えたいと思いました。その頃の話しで、ある教会員の婦人が夫に隠れて多額の献金をして、離婚になってしまった方が二人いました。しかし教会側の考えは、それでも良いと言いました。「神がすべてその方の事情、心情を理解しているので、問題はない」と。すべて神の為、人類の為にそこまで戦いきったのだから。神様は祝福を与える?当時の私はそれを理解していました。自分もたとえ離婚され、家族に見放されたとしても、行ける状態であればどこの国へでも行くし、最後まで、神から受けた使命を全うしよう、自分を犠牲にしても。と考えていました。信者はつねに、「いつかはわかってくれる日がくる。」「いつか多くの人がこの真理を知り受け入れてくれる」「霊界にいけば、すべての人が真実を知る」と。しかし現在は、その「いつか」は来ることは無い事を知りました。現実にはあまりにも信者の心と反対をしている夫、家族の考えている事と気持ちがかけ離れているのです。(この事もカウンセラーの方によって見ているところの違いを知りましたが、当時はお互いに「どうしてわかってくれないのだろう」と思っていたと思います。)

そして統一協会員は不安、疑問、矛盾を感じたときに「これは、不信仰な考え方だ」「何か意味があるだろう」とそれ以上考えることを止めてしまいます。実はその気持ちが本心だったのだと今は思えますが、当時はすべて「悪いこと」として深くまで考えなくなっていました。

そして自分の置かれている立場からも限界をこえなければいけなくなって、ますます異常な生活、教会(集会、展示会、伝道、報告、連絡、断食、訓読、祈祷、敬拝、会議など)家庭の反対、借金地獄、仕事との中で、普通であれば生きていくことは出来ないと思っていました。

とうに自分の限界も超え、自分だけで精一杯片意地はった生活にその日、その日をただ必死になって生きている時。

2000年秋、私は友人、夫、家族、親戚の必死の努力と協力のもと救出カウンセラーの方により、統一原理の間違い、末端の信者には知らされていない事実などを知事ができました。

最初は反発し家族と何度も口論になり、らちがあかず、その間「この今置かれている状態はどんな意味があるのだろう?」神様、真のご父母様に祈り、断食をしたりもしましたが、まったく答えを与えることができず、ゆだねて行くことにしました。そんな私の姿をみている家族も大変だったと思います。今になり良かったと思えることは、一度も「信仰をやめろ」とは言われなかったからです。最後まで「自分で決めなさい」と言ってくれていたこと、そして、カウンセラーの方の私への心づかい、信者の心、立場にたっての言葉は私の姿勢を変えました。だから聞く耳を持ち、心を開くことができたのかも知れません。

それからは原理講論と聖書だけですぐ原理の間違い、矛盾がわかった時に、私は愕然としました。あれほど尊い教えでもある物が、聖書に全然及ばないものであったと理解した時にガラガラと私の信じていたものがくずれ始めました。それからは、聞くことに対してすこしづつ客観的に考えるようになりました、しかしこの12年近い信仰は、そう簡単なものではありません。間違いは理解できても、文鮮明、韓鶴子に対して、その他、この信仰で出会った人々、霊界に対してはなかなか心で認めることができず、苦しみました。どんな状態の時も、家族は見守り、カウンセラーの方は受け止めてくださいました。そして元メンバーの方が私の疑問、不安に答えてくれ、励まされました。

本当にこの信仰が間違いだったのなら死んでしまいたいと一時は思いました。それ程、周りに対しても犠牲が大きく、自分の中でもすべてだったのです。脱会を決めた時から私の側にいつもいた神様がわからなくなりました。とてつもない寂しさが襲ってきました。

現在は夫、家族の見守りの中、カウンセラーの方のアフターケア、弁護士さん、元信者のメンバー方の協力のもとで、少しずつ自分を取り戻しています。脱会を決めてからは「自由」がこんなにすばらしいものだということを感じられずにはいられませんでした。信仰期間、自分であるようで、自分ではなかったのですから。

そして、感じることが出来なくなった神様が今また私のところへ戻ってきました。私のすべてを知り、この日がくるまでに準備をしていた神様に深く感謝しています。