当時20代女性、2年半の信仰
1994年5月頃、あるサークル(=統一協会のビデオセンター)で占い講座のイベントがあるというので、会社の後輩に誘われて行くようになり、統一協会とかかわりを持つようになりました。仕事をはじめて6年目で、将来どのようにしていくべきか、また小さい頃から両親が自営業をしていて忙しかったので構ってもらえず、家族との深いつながりがほしかったり、暖かい家庭を持ちたいと思っていました。しかし、自分自身の存在を否定し、でも反対に自分を向上させなければというさまざまな悩みの中にありました。そのような時にこのサークルと出会い、家庭や愛についてビデオを見て勉強し、役に立つ、為になると思ってどんどん話を聞いていきました。途中からは家系図の話をされました。先祖のことや親戚の状態を見て、「絶家になる。あなたが責任感と使命感をもって、家族の中でがんばるために、出家しなければならないが、まずは今もっているお金を全部ささげなさい」と言われ、献金しました。家系図の話をしていく中で、ここが統一協会であることと、文鮮明が再臨のメシヤであると聞きました。この団体のことは全く何も知らなかったので、疑いもなく受け入れました。
10月初旬に16万人の女性修練会が韓国であり、参加しました。直接文鮮明から話を聞くことと韓国の女性と姉妹結縁を行うことが目的でした。メシヤと言われてもピンときませんでしたが、韓国との暗い過去を乗り越えて、交流をもっていけることはすばらしいと思いました。その後、両親には友達と一緒に住むとウソをついて、統一協会のホームで団体生活をするようになりました。最初の4ケ月間は原理(統一協会の教え)の勉強をし、伝道、経済活動の実践の訓練もしました。それから実践トレーニングという部署に移って仕事を続けながら、ほとんどは伝道活動をしていました。2~3ケ月毎に宝石、健康展(健康器具展示販売)、絵画、印鑑、着物の展示会があり、友人や会社の人、親を誘いました。「しんぜん会」というボランティア団体の名前で、くつ下、ハンカチなどを訪問販売しました。原理の勉強のために修練会にも何度か参加しました。
世界平和女性連合にも入会していたので、1995年9月に開かれた3周年記念大会に行き、ブッシュ前大統領夫妻と韓鶴子総裁の講演を聞きました。9~10月にかけて約1週間、世界平和女性連合主催の訪米ツアーに参加しました。アメリカで有名なクリスチャンの方3人がゲストスピーカーとして話をされました。アメリカの女性と姉妹結縁も行いました。真の家庭について聞いたことや著名人にも受け入れられていると思ったことにより、世界中で活動しているすばらしい団体なんだとますます思うようになっていきました。 仕事と統一協会の活動の両立が苦しくて、活動できないこともありましたが、先祖のため、子孫のため、家族のため、そして神様のためだと思い、やめるわけにはいかず、無理してがんばっていました。その後、青年部に移って活動を続けました。1996年7月から職場が大阪から滋賀に変わり、ホームを出て一人暮らしをすることになりました。一人遠く離れてこれからどうやって活動していこうか、家族にどうやって原理を伝え、受け入れてもらおうかと悩んでいました。
そんな時、10月初旬に中南米35ケ国に120名ずつ4200名の女性を送らなければならないと文鮮明から指示が来ました。これが私に神から示された道だと思って行くことを決心し、11月初旬から9日間韓国の済州島で修練会に参加し、くじ引きによって任地国も決まりました。それから家族にボランティアに行きたいと話をし、会社の上司にも会社をやめたいと話をしましたが、だめだと言われ、とりあえずウルグアイでの1週間の修練会に内緒で参加しようと思いました。出発当日にそれが家族にわかって、行くことができず、家族と共に話し合いをすることになりました。
最初は小さい頃の話をしたり、なぜ統一協会に行くようになったかなどを話し合い、その後原理の内容を家族に説明しました。その後、牧師先生方が統一協会の出版物を通して話をして下さいました。言っていることはわかりましたが、統一協会の教えが間違っているとは思わず、教えはすばらしいと約7ケ月間思っていました。伝道や経済活動の教えとの矛盾はずっと感じていましたが、日本の統一協会や幹部のやり方が間違っているのだと思っていました。世界でも受け入れられているし、有名なクリスチャンの人たちにも受け入れられていると信じていたし、また世界各国でボランティア的に活動していると聞いていたし、何よりも私は神様のために頑張っているんだという思いが強くありました。しかし、元統一協会員の方の体験談や本を通して、また聖書の話を聞くことによって、神様に対する考えが間違っていることに気が付きました。伝道も経済活動もウソをついて活動していることは今も昔も変わらないし、神様は何でもできる方なのだから、ウソをつかなくても人間を救うことができるのだとわかり、統一協会の間違いに気が付いていきました。導かれてイエス様にお出会いし、イエス様の十字架により私の罪もゆるされ、神様によって万事を益とされ歩ませていただいていることに感謝しています。
当時20代女性
私はは88年6月から3年2ケ月、統一協会と関わっていました。18歳の時に高校時代の親友から誘われたことがきっかけです。その頃の私は人前では明るく、また平和についてや、社会や家庭でもどうすれば人と人とが本当の意味で愛し合えるのかを考えていました。しかしその反面で、心の中では子供の頃からの苦しい思いから逃れることが出来ず、家族への憎しみや、寂しさや醜い思いがいっぱいで、いつも理想と自分自身の心の苦しさの間で葛藤していました。そんな私の性格や考えを、よく知っている友人は、「同じような目的を待った人達が活動しているサークルがある。」ということで私を統一協会に誘いました。 初めのうちは疑問をいだいたりもしましたが、私が統一協会に深く入った決定的な原因となったのは、2DAYセミナーで話されたイエス·キリストの存在でした。統一協会での教えは十字架は失敗だったという間違った教えですが、その時の私にとって、生まれた時から、私を見ていてくださる方がいたということ、そして、人間が自分ではどうしようもない罪のため、私のためにイエス·キリストが十字架で死なれた、というだけで十分でした。人をゆるせないと思っていた自分自身が一番ゆるせない存在だったんだと思いました。それまで自分を支えていたものがくずれ去って、涙があふれて、初めて気持ちが楽になりました。自分では「罪」「救い」という言葉の概念はなかったけれども、今まで自分を苦しめてきたのはこの罪であり、この解決こそ求めてきた救いだと思いました。今思えば、その時から無条件に教えを信じていきました。
間もなく母の猛反対にあいました。「霊感商法、合同結婚、洗脳、行方不明」などあらゆる事を言われ、反対されましたが、統一協会の上司に相談をしたところ、統一協会の教えに添った様々な解答がなされ納得しました。結局は反対されることによって、統一協会の教えを、先に一通り学ぶことになりました。しかし、毎日、夜中じゅうの大喧嘩と統一協会での反牧対策(統一協会をやめさせないための対策)によって、身動きがとれなくなり、それ以上、通いつづけることが出来ず、一旦、統一協会から離れました。
しかし一度信じた統一協会の教えは、簡単に離れるものではありませんでした。かえって統一協会から離れることによって世間での生活がしづらくなりました。つまり統一協会では「この世はサタン世界であり、全ての人間はサタンの血を受け継いでおり、統一協会とつながっていない限り、決して救われることはない」という思いが心の深くにしっかりと根をおろしていました。そのため、私はだんだん人が恐くなり、また自分の行動に何の意味もなくなり、不安と空しさの生活の中で、人間らしい感情も失っていきました。また、ニュースで大事件や大事故がある度、自分がやめた事に責任を感じました。そして、やめてから2年5ケ月たった1991年の1月に、湾岸戦争をきっかけとして自分から、再び統一協会に戻りました。
その年の8月に家族と話し合いのときを持ち、牧師先生が統一協会についてお話してくださいました。聞いてもなかなか分からなかったり、分かりかけても恐怖心や揺れもどし、色々な悲しさで、どうしようもありませんでした。この世の中にはやっぱり希望はなかったと思い、一生、心から笑えないだろうと思い込んでいました。味覚もなくなり、お茶も受け付けない日が続きました。しかし、苦しい心の中にも、牧師先生が教えてくださるイエス様の話に、心打たれ、最後の方は毎日、泣きながら聞いていました。大変、不安定な気持ちで教会へ心の整理に来ましたが、聖書の学びと周りの方々との交わりを通して、次第に落ち着いてきました。そしてイエス様が失敗者などではなく、本当の救い主であり、イエス様の十字架こそが救いであることを教えていただき、本当に感謝でした。何にもかえられない幸いをいただくことができ、感謝しています。
男性25年信仰
プロフィール
· 1950年代早くに生まれる。
· 1974年、カリフォルニア州にある統一教会に入会。
·カリフォルニア、ニューヨーク、テキサスの各州で万物復帰を含む路傍伝道で働く。
· 1982年、韓国で、日本人姉妹と祝福を受けた。
· 1991年、日本へ移住。
· 1999年、最終的に教会から脱会。
·妻子と共に現在日本で生活。
ミカ書 6章8節
主よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている
正義を行ない、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。(新共同訳)
以下の記事は本来ARUに載っているもので、Isshiの許可を以ってここに重載されてい
統一教会の正直さ
数年前、文鮮明がこんなことを言っているのを私の妻が聞きました。「あなたがたは原始的な魂に従わなければならない」(日本人のグループに向かって語られたもの)。意味ははっきりしていないが訳し方は他にもあるでしょう。教祖が道徳的に私たちを力づけたとその時私は思いました。しかし振り返ると、どうともとれるありきたりの言葉でしょう。特にアジアにいる時は、「絶対信仰、絶対服従、絶対愛」のような呪文を耳にしますが、その強調点はほとんど「絶対服従」に落ち込みます。
財政的に闘っているメンバー、配偶者·子供たちと断絶したメンバー、「絶対服従」に至ってないために彼ら自身を責めるメンバーを見ると悲痛な思いになります。真の父母様/統一教会への完全服従は、家族を無視するよう要求し、それは内面の葛藤と自責心を生じさせます。統一教会の多くの活動(大理石のつぼ、金の印鑑、純血キャンディー( Pure Love Candy )、茶器セット等々)は詐欺を要求します。高貴だと思われる良い人々が、自己欺まんを行なっているのを見るのは、悲嘆以外の何物でもありません。
基本的に誠実さ(と一般的道徳)は統一教会では強調されません。良いメンバーであることは、信仰的·犠牲的であることを意味し、指導者の考えに服従することです。誠実さそのものの考えに関わっているメンバーは、信用されません。
私が大変よく知っているある韓国人指導者は、誠実さの話題のたびに常々こう言います。「赤ん坊にステーキを与えるようなことはしない。」嘘やだましは無制限なばかりでなく、だまされている者の旨みでもあるのです。
私が統一教会で最も尊敬していた指導者は、ユダヤ系のアメリカ人でした。彼は一度演説でこう言いました。「不道徳、非合法、不誠実には何もするな。」彼は基本的に他の指導者たちによる活動からつまはじきにされていましたし、もはや活動を持っていないかせいぜい窓際に置かれているでしょう。
昨年ある統一教会内グループで発行している回報で、私たちの活動は不誠実、不道徳的であり、もはや支持できなくなったと私は公開質問状を出しました。指導者たちは誰も回答しませんでした。回答のあった中である者は、私が統一教会の真意をあえてただそうとしたとして激怒しましたし、またある者は多少誠実さが欠けていても大丈夫だと答えました。またあるメンバーは私を応援しようとして電話し、「あなたは正しいが不誠実は私たち全員にとって自明のことだ。それは変わりっこない。どうしてそんな公開状をわざわざ書いたのだ」と聞きました。彼の主な結論はこうでした。「文鮮明は救世主。彼が望めばなんでもできる。」
誠実さの考えは、ユダヤ教徒とクリスチャンの遺産に由来するほとんどの西洋人によって、共有されていることを思い出して下さい。面目や地位を保つことは、東洋(と統一教会)の文化の中で、より重要な価値があります。誠実さの感性を持つことは、神を中心に置く真理に参集するという意味を伴います。そしてそれは文鮮明や原理講論を中心に置くこととは、単に両立しません。誠実さの感性は統一教会では役立たないばかりでなく、組織活動で効果的役割を担う上で障害です。私の知っているすべてのメンバーがこのことと闘っています。ひとりひとりが。(個人的)廉直さに対する願望が増した時、私は統一教会から離れなければなりませんでした。
これを読んでいる統一教会の活動にまだある方へは、敬意を表し、またお願いしたい。オートバイのマフラーを取り払い、夜の3時半に住宅地を惰走しながらエンジン速度を上げている誰かを想像して下さい(日本で夏の夜に発生する)。何百という家庭の眠りを引き裂きながら、何千という怒りを招くのです。霊的に計ると、大いなる賠償金を自ら負うことになりました。他人をだますことはこれと同じことです。それは償うべき負い目をそれ自身で抱え、実際神を退けてしまうのです。神の業が人々をだまして救済させるのですか。悪い考えは悪い実しか結ばないのです。
逆に言うと、神は誠実さと喜びを愛される(箴言11章1節その他)。それが魂を持っていく道でしょう。私のジレンマを解決するのに役立ったあるユダヤ人の言葉から引用して、締めくくらせて下さい。
これが道徳的一神教信仰である
神がおられる。
神の根本的要求は道徳である。
道徳なき神は、信仰悪を導き
神なき道徳は、信仰なき悪を産む。