浅見 定雄
▲ 崔元福と文鮮明と韓鶴子が祭壇に敬礼する様子。中央には豚の頭が置かれている。韓国では豚は富や財産をもたらすとても縁起の良い動物として人気がある。聖書では豚は汚れた動物とされている。文鮮明とその妻が行う、シャーマニズムのこのような儀式はキリスト教の教えに反している。
文鮮明は彼の2人の妻はヤコブの二人の妻を表す。崔元福は妻レア役、韓鶴子は若い方の妻ラケルの役とされた。この儀式は霊を開放・召喚する目的かもしくは、豚は多産で、韓国では繁栄の象徴とされているので、子宝に恵まれるよう祈願してるとも考えられる。
▲ 1968年1月1日の文鮮明とその二人の妻。この日を文鮮明は最初の「神の日」として宣言した。
シャーマニズム
統一協会のもうひとつの性格は「シャーマニズム」である。「シャーマン」とはシベリア地方のツングーツ語からロシア語経由でドイツ語、英語等にはいってきた言葉であって、要するに死霊・祖霊などの「霊界」と交通できると信じられている「霊能者」のことである。したがって、例えば岩波書店の『広辞苑』第三版によれば、「シャーマニズム」とは「シャーマンを媒介とした霊的存在との接触・交渉を中心とする宗教現象」で、「東アジアでも中国・朝鮮・日本において巫俗・巫術等の名で知られる」もののことである。あるいは東京大学出版会の『宗教学辞典』によれば、「トランス(忘我・脱我・恍惚)のような異常心理状態において、超自然的存在(神霊・精霊・死霊など)と直接的接触・交渉をなし、この過程で卜占・預言・治病・祭儀などを行なう呪術-宗教的職能者(シャマン)を中心とする宗教現象」である。これらの定義は、統一協会の実態とじつによく合う。
まず、教祖自身がそういうシャーマン的体験を売り物にする人物である。統一協会内部の文書『主の路程』によれば、教祖文鮮明はすでに一六歳の時、「大先生の前にイエス様が現れ」、お告げをしたという「霊的」体験の持ち主であることになっている。まさに「超自然的存在」との「直接的接触・交渉」である。(もっともこの体験の中味は、実は子持ちの女性と「深い仲になった」ことであるらしいとか、また後にアメリカのテレビ局から、ではその時イエス様は何語で語りかけたかと聞かれて、「ヘブライ語のなまりが少しある韓国語でした」と答えたとかいう語るに落ちた話は、萩原遼『淫教のメシア文鮮明伝』にくわしい。)『講論』の「総序」にも、「先生は単身……イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢達と自由に接触乙、密かに神と霊交なさ」つたと書いてある (三八ページ)。まさに男シャーマンそのものである。同様の宣伝は、文鮮明を持ち上げた那須聖氏や松下正寿氏らの本にもたくさん出てくる。また末端の信者たちの講義ノートにも、そんな話ばかり数限りなく記されている。
▲ 彼女はノンサン・ハルメオニ(論山のおばあちゃんの意)として知られていた。本名は李白任。中央に座り、上部が白いチマチョゴリを着ている人物だ。彼女は1909年に生まれ、統一教会には1972年に入信した。文鮮明の依頼により、1970年代中頃は先祖開放の巡礼に携わった。写真は1973年9月に淸州市統一教会の信者たちと共に撮影されたものである。文鮮明は彼女のシャーマン的慣習を一部統一教会に導入した。1979年癌により没する。 李白任 이백임 논산 할머니
次に統一協会の行ないが、シャーマニズムの最悪の形態をよく示している。いわゆる「霊感商法」がそれである。近頃は一般マスコミにも頻繁に取り上げられるようになった。主婦たちの不安や年寄りの不幸につけ込んでは「霊のたたり」で脅し、霊媒者のまねや霊に取り憑かれた振りをして、印鑑や壷や「多宝塔」を売りつける。決して豊かではない人々、むしろ普通より不幸せで貧しい女性や老人を餌食に、貯金や年金の最後の一円まで絞り取ろうとする。このことでは私も、弁護士と相談して幾つもの事件を解決した経験がある。売り付けられた品物の実物も持っていることは、前にしるした。全国の自治体の「消費者センター」のような所にも、相談が殺到している。刑事事件になったのもあり、民事裁判になったのもある。(追記 このことについて、その後 『朝日ジャーナル』が、一九八六年のコー月五日号と二六日号、それから明けて一九八七年の一月三〇日号で、読むに堪えないようなおぞましい実態を報告している。当然ながら、関係者には悪質な脅迫やいやがらせがあった。)
「霊感商法」だけではない。少し深入りした若者たちと会っていると、やれ水子のたたりだとか、やれ祖先の霊が助けを求めているとか、幼稚で無気味なことを大まじめに言う。とても聖書とかキリスト教の世界ではない。フ丿ヤーマニズム」と呼ぶのさえ、他のシャーマニズムに対して悪い気がするほどである。アジア全域に分布する素朴な民衆のシャーマニズムは、こんな非人間的なものではない。「シャーマニズムの最悪の形態」と断ったゆえんである。「原理運動を憂慮する会」の小冊子の冒頭を、私は次のような文章で始めた。「統一協会”とは何か。ずばり、セックスと金と反共の、ただただひたすらにおぞましい宗教団体の名である。」いま私はこれに加えて、「そして呪いのシャーマニズムの」という一句を記しておくべきだったと思っている。
▲ 生産工芸品である大理石の多宝塔を生産する工場に訪れる文鮮明。多宝塔は日本で非常に高い価格で売られた。
「シャーマニズムの最悪の形態」の証拠はまだある。文鮮明と韓鶴子との間の次男・興進の無免許暴走激突死亡事故(一九八四年一月)のことは前にしるした。ところで文鮮明は、なんとこの一七歳の死んだわが子を、一ヶ月後に自分の側近の部下である朴普煕の次女・薫淑という二一歳の生きた女性と「霊魂結婚」させた!(式もほんとうに取り行ったようである)。アメリカの法律でも死者との婚姻関係など認められないから、実際は養女にしたということらしい。時あたかも文鮮明の脱税による懲役刑の確定が六月に迫っていたので、一説では財産分散の手段だったとも言われている。しかしそれにしても、生きた二一歳の「うらわかい乙女」(このことを「慶事」として報じた統一協会系の『宗教新聞』一九八四年四月一日号の言葉)を、高校生の年頃の、しかも死人と「結婚」させるなどということを、どうして思いつき、また実行できたのか。韓国のシャーマニズムのことを知っていればこの謎が解ける。
▲ 1984年1月、文鮮明と韓鶴子が棺の中に横たわる息子・文興進を見つめる。
ここにちょうど、この事件と同じ年に日本で出版された崔吉城氏の大著『韓国のシャーマニズム』(弘文堂)がある。その扉を開くとすぐ、韓国シャーマニズム習俗の写真が11ページにわたって掲載されているが、その六ページには実際の「死後結婚」の光景が紹介されている。そして4 本文の三五二ページ以下にその解説がある。そこを読むと、韓国のある地域では若者が「未婚にして不慮に死亡した場合には……死霊を死んだ場所から呼び名とし、さらに結婚させる儀式を行う」。それによってこの死霊は、安らかな「ふつうの死霊」になれるのだという。新郎・新婦は晴れ着姿の人形に作られ、「ほんとうの結婚式と同様に」両家の親族も集まり、「新郎の人形は新郎の家族が持ち、新婦の人形は新婦の家族が持って、お互いに拝させて結婚式が行われる」。さらにそのあと「二人の死霊の……ふとんを作り、一泊同会(どうきん)させ」る例もある。
▲ 1984年2月20日の朴普煕の次女・朴薫淑と文興進の結婚式。
しかしここでは、花嫁も花婿も未婚のまま世を去った死者同士であり、またそこには親の悲しみと優しさがにじんでいる。しかし文鮮明家の場合、死んだ少年の「花嫁」とされてしまったのは生きた女性である。そのうえ彼女は「結婚」と同時に「未亡人」となり、生前夫婦どころか婚約者でさえなかった一七歳の亡き「夫」に、生涯操を立てさせられるのである。肉体のない「天使」ルーシェルと生身のエバが性関係を結べるのと同じように、死者の「霊」と生身の娘さんの結婚が可能だとするシャーマニズム的観念を別とすれば、文鮮明の「霊魂結婚」と韓国民衆の「死者結婚」との間には、天と地ほどの隔たりがある。一方は親の切ない愛情の表現であり、もう一方は(財産の分散かなにか知らないけれども)現代版人身御供の残酷物語である。いずれにしても、これはどう考えてもキリスト教ではない。シャーマニズムのもっとも醜悪な変種である。
統一協会=原理運動 その見極めかたと対策
浅見定雄 1987/3 ページ:208~212
若者たちの人格破壊、家庭崩壊、偽りの募金や物売り、統一協会=原理運動の実態と本質を究明し、そこからの救済と予防・対策を訴える。犠牲者を新たに出さないために特に親・教師・学生に贈る。
▲ この1988年に撮影された写真では、文鮮明と韓鶴子の間にクレオパス・クンディオナという青年が立っている。彼らはクレオパス・クンディオナを車の事故で1984年1月に死去した息子・文興進の生まれ変わりだと信じていた。
『死んだ息子(興進)の憑依多くはアフリカで報告されていた。一九八七年、郭錠煥師は興進の霊がジンバブエ人の身体にとりつき、彼を通して語っているという報告を調査にいった。「イーストガーデン」に帰った郭師は、憑依は本物だと宣言した。私たちは全員朝食の食卓のまわりに集まり、彼の印象を聞いた』
『文師はアフリカからの知らせに興奮した。・・・死んだ自分の子の霊にとりつかれていると主張する男と会いもしないうちから、文鮮明は「ブラック興進」に世界を旅して説教し、道に迷った統一教会員のコンフェッション(告白式)をすることを許した。』
『文師夫妻は、われわれ子供だけで「ブラック興進」と会い、私たちの印象を報告するように言った。それは愉快な出会いだった。顕進、国進、孝進は赤の他人に自分たちの子供時代について質問をした。彼はそのどれにも答えられなかった。』
『文教祖は「ブラック興進」の殴打について、「イーストガーデン」まで聞こえてくる報告を楽しんでいたように見える。だれか嫌いな人間がとくにひどく殴られると、げらげらと笑った。』
(洪蘭淑著「わが父文鮮明の正体」p192-194)
▲ 1987年11月 Cleopas Kundiona クレオパス・クンディオナ
▲ 1987年11月 神山威先はクレオパス・クンディオナに弓を下げますナ
クレオパス・クンディオナは信者の間で「ブラックフンジン」として知られていた。1987年の暮れから1988年の半ばまで世界各地を訪問し、行く先々で懺悔の会を開いた。これらの会のうちいくつかでは、信者が手錠をされ殴られていた。数人の信者は重傷を負い、病院に搬送された。教会のトップである朴普熙もそのうちの一人である。クレオパス・クンディオナ自身、自分をメシアとして考え始め、文鮮明は1988年に彼をジンバブエに戻るよう命じた。クレオパス・クンディオナはそこで統一教から分離する形で自身の宗教を形成し、統一教徒を多く引き抜いた。1992年7月にはクレオパス・クンディオナは来日し一週間滞在した。その際、東京で長いインタビューを受けた。このインタビューは一部テレビで放送された。千葉では一般向けの会を開き、日本人信者に振るった暴力について一部を認め、謝罪した。
以来、クレオパス・クンディオナはジンバブエで教育、政治、宗教に関わっている。以下、東京での記者会見の録画である(第一部、第二部に分かれている)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/文興進
文 興進(ぶんふんじん、ムン・フンジン、英語: Heung Jin Moon 、1966年10月23日 – 1984年1月2日)は世界基督教統一神霊協会(以降「統一教会/統一協会」または「教団」と表記する)教祖の文鮮明の息子であり、その公式には4番目の妻韓鶴子との間の次男であり、統一教会/統一協会のメンバーであった。
その死の1ヶ月後、文鮮明は文興進を統一教会/統一協会幹部の娘だった22歳の女性と「霊魂結婚」させた。これは統一教会/統一協会が洗脳に利用する聖書やキリスト教では全く説明がつかない事柄であり、浅見定雄は「シャーマニズムと呼ぶのさえ、他のシャーマニズムに悪い気がするほど」と前置きしながら「シャーマニズムのもっとも醜悪な変種」と指摘している。統一教会/統一協会はこの「霊魂結婚」を慶事とし、その命日を「愛勝日」とし、以後「興進様はお父様(文鮮明)の身代わりとして霊界に行き、霊界の王の王の立場になられた。地上でもお父様よりも偉い」と教えた。
1987年暮れにアフリカ・ジンバブエの黒人青年に文興進が乗り移ったとされ、文鮮明もこれを事実と認めたといい、この黒人の「文興進」、すなわち「ブラックフンジン」はアメリカ合衆国に渡るなど世界歴訪を開始、1987年末に来日して幹部を集め「霊界の言葉を伝える」修練会を開き、幹部達に罪の告白をさせ、日本統一教会/統一協会会長久保木修己も統一教会/統一協会関連会社ハッピーワールド社長古田元男も公金横領の罪でバットで何回も殴られたが、その結果久保木は長い間悩んでいた腰痛が治った、幹部たちは罪滅ぼしに8日間断食をした、という風に信者は聞かされたという。
また「ハッピーワールドから日本人が物を買うことで日本が神や韓国に対して犯した罪が清算される」という、霊感商法を正当化する内容の「興進様の啓示」が販売局総務から全店舗宛に頻繁に流されるようになった。
「豚の頭」教
以上、統一協会の宗教学的本質を「陰陽道」、「シャーマニズム」と規定したが、シャーマニズムの側面に関しては、私は「シャーマニズムの最悪の形態」「シャーマニズムの最も醜悪な変種」と断っておいた。じつは同じょぅな断りは、統一協会の陰陽道としての側面に関しても必要なのであった。
前編の「勝共と日本右翼との矛盾」(八八べージ)のところに紹介しておいたとおり、文鮮明は日本の天皇も自分にひざまづくべきだと考えている。それどころではない。ィエス・キリストさえ彼に頭を下げた、などといぅ話は、彼の語録の中にはざらである。ところがこの教祖は、天皇やキリス卜に対してはかくも自信満々なのに、別の面ではじつに頼りない民間信仰の持ち主なのである。例えば萩原遼『淫教のメシア文鮮明伝』九七べージの一枚前に収められている写真を見られるとょい。私も同じ白黒写真の現物を、韓国ソゥルの新興宗教研究所所長・卓明煥氏のルートで手に入れ、所有している。それはなんと、文鮮明が崔元福・韓鶴子の二人妻(7)と共に、韓国流に飾った祭壇の前で、「豚の頭」にひれ伏している写真である!これについて統一協会は、一九八三年一一月、これを暴露した『クリスチャン新聞』に対し、「写真に写っているのは豚ではなく牛だ。誤報を認めなければ告訴する」とおどしてきた。そして統一協会「超教派部長」の梅本憲志氏も同じ内容の抗議を電話でしてきた。しかし『クリスチャン新聞』の社員が、「豚であれ牛であれ、キリスト教にはない偶像崇拝に変わりない」と答えたところ、抗議を打ち切った。
ところがちょぅど同じ頃、一九八三年一二月八日、統一協会の学生組織である全国大学原理研究会の「法規対策室長」の伊勢谷俊昭氏が私の研究室に押し掛けて、「お前もあの写真を信じているだろぅが、あれは確かに豚の頭だけれども、モンタージュ写真だ」と言ったものである!まったく同じ時に、片方は豚の頭であること自体を否定し、片方は豚の頭であることを認め、ただそれが作為された写真だと弁明したのである。そこで私は、後日東京都内のある有名私学で原研の学生と会ったとき、「どちらが本当なの?」と尋ねると、さすが原研の学生である。彼らは統一協会幹部ではなく原研幹部の「モンタージュ説が勝ったんじゃないですか」と答えた。彼らのゥソは、いつもこのょうに、その時々の出まかせである。
韓国の民間宗教では、豚は多産のシンボルである。じじつ文鮮明は、彼の最後の正式の妻・韓鶴子との間に一三人の子供をもうけている。そのこと自体をとやかく言う必要はないけれども、「文鮮明教」の本質は高々この程度のものなのだということは、末端の原理信者たちも直視する必要がある。
これで後編を終わる。ここに書いたことはすべて、文献にょって裏づけられている。説得者や学生諸君をはじめ、関係者の御参考になれば幸いである。
浅見定雄
1931年山梨県生まれ。
東京神学大学博士課程修了。
ハーバード大学神学部博士課程卒業。Th.D(神学博士)。
現在,東北学院大学文学部キリスト教学科教授。
著書『旧約聖書に強くなる本』(日本基督教団出版局),
『にせユダヤ人と日本人』(朝日新聞社),
『偽預言者に心せよ』(晚聲社)。
統一協会=原理運動その見極めかたと対策
1995年1月20日 6版発行
東京近郊の宮崎台研修センターの統一教会員が書いた「血分け問題」です。(本人の講義ノートによる)
Shamanism is at the heart of Sun Myung Moon’s church
Sun Myung Moon – Emperor, and God
Holy Grounds and the Shamanic Guardians of the Five Directions in Moon’s church
The Unification Church is unequivocally not Christian
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