「私の一族は統一教会の餌食にされた」

「私の一族は統一教会の餌食にされた」

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週刊ポスト     November 5, 1993

〈追跡ドキュメント/「文鮮明教祖のル一ツ」〉
インタビューに答える崔淳英会長、ソウルの大韓生命ビル

韓国経済界の重鎮 • 崔淳英氏

大韓生命会長が全告白

「私の一族は統一教会の餌食にされた」

美人スパイまで登場


●レポート 大林高士 ジャーナリスト


「父・崔聖模もまた、(統一教会の)“美人計”

(美人スパイを使った策略のこと)にはまってしまった」—— 大韓生命をはじめ、関連9社のオーナーとして韓国財界で重きをなす崔淳英氏の口からは、草創期の頃の統一教会による強引なまでの布教の実態が赤裸々に語られた。いまだから明かす統一教会の「資産家寵絡の手口」とは——。

「一族はバラバラにされて」

秋晴れのソウルー。漢江沿いにそびえ立つ63階建ての大韓生命ビル(ゴールデンタワー)は韓国一の超高層ビルである。展望台や水族館もあり、ソウル市民に “63ビル” の愛称で親しまれ、日本からの観光客も多い。

私は、このビルの上層階の一室で、大韓生命会長・崔淳英と向かい合っていた。崔は開口一番、こういった。

「私の一族は統一教(韓国では統一教会=世界基督教統一神霊協会のことをこういう)によってバラバラにされてしまった。統一教は私の人生を孤独なものにしてしまったのです」

窓の外には漢江の流れがパノラマのように広がっている。 崔一族は、このビルのオーナーでもある。崔淳英の父・崔聖模は、戦前から小麦粉の製造で財を成し、戦後、朝鮮製粉(現・東亜製粉)を設立。その後、大韓生命などを次々に吸収して新東亜グループの基礎を築いた。17年前にこの父が死去した後、長男の淳英が事業を引き継いで今日に至っている。

崔淳英は現在54才。従業員数5600名の大韓生命をはじめ、東亜製粉、大生相互信用金庫、極東放送など関連9社のオーナとして韓国財界で重きをなし、崔一族の声望は高い。

ところが、今年初めから、この崔家をめぐって妙な噂が韓国のキリスト教信者たちの間で立ちはじめた。

「あの大韓生命の63ビルの事質上のオーナーは、統一教会の文鮮明なのだ」

「大韓生命の株式の60%は統一教が所有している」

「大韓生命はじめ崔家の新東亜グループには統一教が資金を援助しているらしい」 さらには、崔淳英の母で聖模の妻である李得三と、淳英の2人の姉(淳華と淳実)についても、「文鮮明によって血分けされ、反統一教系の多くの文書に登場する “文鮮明の3母女混淫” は、この3名の女性を指しているのだ」といった噂が、まことしやかに囁かれたのである。

度重なる統一教会と崔一族にまつわる噂に、家長の崔淳英も苛立ちを強め、ついに今年6月、ソウルでも有数の教会(プロテスタント)であるハレルヤ教会の壇上に立ち、多数の信者を前にして釈明の講演を行なうに至った。

ハレルヤ教会の人気牧師として知られる金相福牧師は、この釈明講演について、こう語る。

「信者たちの間で、63ビルと統一教にまつわる根も葉もない風聞が広がりつつあった。そこで私から、一度信者たちに真相をお話しになったらいかがですか、と、この教会の長老職でもある崔淳英会長に申し上げました。

今年6月13日、崔会長は信者たちの前でお話しになり、私も信者たちの喜ぶ表情を見て、満足した気分になりました」

だが、俗に、火のないところに煙は立たないという。なぜ、韓国の財閥企業一族と統一教会にまつわる噂が、それほど根強く執拗に流れつづけたのだろうか。

すでに私は本誌で、統一教会のルーツを探るレポートを3度にわたって報告している。一大猟奇事件として騒がれ、文鮮明教祖自身も「(女子大生)不法監禁」の容疑で逮捕された1955年の梨花女子大事件についても、すでに報告した(10月15日号参照)。

この統一教会草創期の一大スキャンダル事件に関連して、逮捕された22才の女子大生がいる。この女子大生の名は、崔淳実。すなわち、崔淳英会長の姉である。

母と2人の姉が次々に入信

63ビルの大韓生命会長室で崔淳英は、ゆっくりとした口調で語りはじめた。「この63ビルは統一教の資本が入っているとか、統一教のビルだといった風聞は全くのデタラメです。調査すればすぐわかることなのに……非常に憤慨しています。統一教と崔家とは深いつながりがある、といった噂も同様。崔家は統一教会の最大の被害者であって、決して統一教会に与するものではありません」

だが、崔家の中から、淳英会長の母と2人の姉が統一教会に入信し、いまも姉の淳実がアメリカの統一教会の重要人物であることは、まぎれもない事実なのである。

50年代初め、朝鮮戦争で南下した金日成軍はソウルを占領。崔家もまた釜山へと避難した。その釜山で、熱心なクリスチャンだった淳英の母・李得三は、通っていたキリスト教会に巨額の献金をして、戦乱下の巷で話題となった。

もちろん、その金は、夫の崔聖模から出たものだ。当時貧しかった統一教会は、この崔聖模を入信させようと躍起になった。息子の淳英は、まだ10才を過ぎたばかりの少年だった。

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「父は統一教を嫌っていました。しかし母が、統一教に足を踏み入れてしまったのです。

それから上の姉の淳華、つづいて次の姉の淳実と入信していった。その次は私の番で、母は私にも入信を勧めたが、私も父同様、統一教が嫌いで、ずいぶん抵抗した。それで母は、私をかわいがらなくなった。夕食のおかずも姉たちと差別されたり、そんなことがたくさんありました」

統一教会は富豪の崔家にターゲットを絞り、そして3人の女性を入信させることに成功したのである。淳英はいう。「当時、統一教では文鮮明を頂点に創業功臣らが高い序列にいましたが、入信したばかりの母が、その高い序列に置かれました。

つまり、そんな高い席に座れば、お金をたくさん出すだろうと、それだけの理由だったのです。母は全てのお金を統一教に捧げ、父との喧嘩も絶えなくなりました。貧しかった統一教は、私の一家だけでなく、金持ちに接近してはお金を奪った。そのためには本当に野卑な方法を使った。まさに目的のためには手段を選ばず、です。

カネさえ奪えるなら、平和な家庭を完全に破綻させても彼らは何とも思わなかった」 懺淳英は “野卑な方法” という言葉に、ことさら力を込めるのだった。

戦乱が終わり、ソウルへ戻った崔家を次に襲ったのが梨花女子大事件である。55年7月、文鮮明と統一教会幹部4名、それに延世大学の22才の女子大生が「姦淫媒介」容疑で逮捕された。この女子大生が、崔淳実である。

「長姉の淳華は梨花女子大で次の姉の淳実は延世大学に通っていました。

でも、父が留置場の姉に毎日差し入れをしていた、という話は、いま、あなたから初めて聞きました。父は娘思いの優しい人でしたから、そんなことをしたかもしれませんね」

2人の姉は、その後、どうなったのだろうか。淳華は、もともと医科大学に進む予定だったのが、入信ですっかり進路が変わってしまった。「でも、淳華の入信期間は短かったのです。統一教で知り合った青年と結婚したのですが、まもなく2人で統一教を脱退した。

ところが肺病に冒されていた青年が死に、その後、姉はエホバの証人に入信して、それは今日もつづいています。

次の姉は梨花女子大事件の数年後、アメリカへ渡り、いまも統一教の人間です」

父・聖模がのこした遺産のうち、大韓生命株0.58%がこの次姉・淳実の所有となっている。この淳実の持ち株がすでに統一教会のものとなっている可能性があり、それが60%に飛躍して「大韓生命は統一教」という噂が広まったのではないか、と淳英はいう。

「美人計にはまってしまった」

韓国財界の大立て者・崔淳英の話は、母・李得三の死へと及んでいった。

・李得三が文鮮明と統一教会に出会ったのは、40才の時だった。その後、長く教会のために尽くした彼女は20数年前、子宮がんにかかり、「50%以上の確率で治るから」と医師から手術を勧められた。彼女は文鮮明のもとへ相談に出向いた。その時、文鮮明はこういったという。

「私か治してあげます。手術など必要ありません」

だが、その結果は最悪だったと崔淳英は、いう。

「文鮮明の命令に従った母の病状は悪化し、ついには亡くなるのですが、死ぬ直前になって、やっと母は統一教を信じていたのが間違いだったことに気づいたようです」

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●統一教会の「反論」と「見解」

もし崔淳英氏が、貴誌のインタビューに答えて語ったことが事実とするならば、当宗教法人は以下のようにお答えします。

1:崔淳英氏が「母と姉が統一教会に入信し、その結果、巨 額の資金が統一教会に献金と して流れていった」と語って いるとのことですが、韓国統一教会に問い合せたところ、 韓国戦争以降の1950年代 から60年代、韓国経済は非常 に困難な状態にあり、崔氏の父親が運営した企業は当時中 小企業であり、とくに崔氏の 父親が当教会に入教しない状 態で、巨額の資金が当教会に 献金として流れるはずがない し、そういう事実は全くないとのことです。

2:崔氏が「統一教会は母親が亡くなる前に、ある女性を父 に接近させ、財産を奪取しようとする方法を用いた」と話 しているとのことですが、韓 国統一教会に問い合せたとこ ろ、そのような事実は全くな いとのことです。

また、最近、韓国でキリスト 教一部の反対派が「崔氏は大韓生命ビル(63ビル)や、フェ ップル宣教センターの建設 ・運営資金ならびに全州大学校 の引受資金等を統一教会から 支援を受けた」と主張してお り、崔氏は自分と統一教会が 無関係であることを立証する ために、貴誌のインタビュー で事実無根の発言をしたもの と推測されるとのことです。 統一教会広報部

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ハレルヤ教会の金相福牧師

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淳英と彼の妻は、病床の母・李得三を看護していたが、ある日、3人の統一教会の関係者がやってきて、テープレコーダーを瀕死の病人の前に置いた。そして遺言を吹き込み、葬式は統一教会で行ない、さらには遺産相続についてまで語らせようと数時間粘ったが、李得三は沈黙しつづけたという。

「彼らは1階の奥の間の母の部屋のまん中に録音機を置いていました。私と妻は、こらえ切れずに、ついに “私たちの母であって、あなた方の母ではありません” といって彼らを追い出しました」

崔淳英は当時を振り返ってこう語り、母・李得三は聖恩教会の徐載勝牧師に遺言をのこしたと明かすのだった。

徐牧師は現在カナダにいて連絡が取れない。だが、徐牧師と親しい金相福牧師(前出)は、こう語るのだ。

「最近、崔会長への悪質なデマが流布されたことで、私はカナダの徐牧師に電話して、李女史の遺言を確認しました。

李女史は、亡くなる直前、徐牧師の耳元でこういったそうです。統一教を信じた私は間違いだった。イエス様を信じる人だけが天国へ行く。私もイエス様だけを信じて天国へ行きます‘と」72年1月、ソウルの病院の一室での出来事だった。

だが、この母・李得三の死の前に、統一教会は再び父・崔聖模に触手を伸ばしていたと崔淳英は、ため息をつくように、こう語るのだった。

「統一教は、母が亡くなる前に、ある女性を父に接近させて、父の財産を奪おうとしました。私の庶母となった人です。手段と方法を選ばないのが統一教なのです。

母が亡くなる前に、あれほど統一教をイヤがっていた父は、統一教が送り込んだ人と結婚したのです。統一教の “美人計”(美人スパイを使った策略)にはまってしまった」

この話を、統一教会問題に詳しい国際宗教問題研究所長・卓明煥にぶつけてみた。「韓国で “美人計” とは、美人を使ってある目的を達成したり、事を有利に運ぶ、そんな意味に使います。私は28年の長きにわたって統一教と闘ってきましたが、何人か美人の接触があって、これが “美人計” かと何度も思ったものです。私は聖職者ですから女性関係が噂されればそれだけで致命傷ですが、普通の人だったら “美人計” にはまりやすいのではないですか」(卓明煥)

父・崔聖模も、76年に肝臓がんで死ぬ。聖模とその2番目の妻の間には男子が生まれている。問題の “美人スパイ” は当時、30代の後半。現在は、息子とも離れてソウル市内でひとりで住んでいる。

統一教会・広報部の見解については、220ページの囲み記事を参照していただきたい。

統一教会と崔一族との長い葛藤を知るソウルの教会関係者が、改めてこう語る。「63ビルのあの形は、ちょうどイエス様に祈る時、両手を合わせる形なのです。つまりあのビルは韓国クリスチャンの象徴そのものでもあるのです」

63ビルを後にして、そこからほど近い汝矣島の統一教会の120階建てビルの建設予定地だった場所を訪れてみた。

MBC放送に隣接する一等地。いまは駐車場となっているが、敷地1万8000坪。

まぎれもない統一教会の所有地である。

いつの日か、この空き地に120階建ての超高層ビルが建設されて、その上層階の部屋から文鮮明が63ビルを見下ろす日がやってくるのだろうかと、ふと思った。

20世紀末の巨魁・文鮮明。彼の野望は、いまだついえていない。

(文中敬称略)


English translation of the Soon-yong Choi article here

サム・パークビデオのトランスクリプト

ここで、2015年の食口たちのコメントに対するサムの応答を読むことができます。 リンク